【雑談】「劉備玄徳は麻婆豆腐を食べていなかった」というお話【価値観の多様性とは雑食性】
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麻婆豆腐は100年程度の歴史しかない
麻婆豆腐って100年の歴史しかなかったのか・・・・・日本では中華料理の代表のひとつに四川料理がある。
辛さがセールスポイントだが、唐辛子が中国に伝わったのは明末の十七世紀であった。
食用として唐辛子が栽培されるようになったのはさらに遅く、十八世紀のはじめと推定されている(周達生、一九八九)。
つまり、激辛の四川料理はどれも四百年を超えない。
それ以前の四川料理には山椒は使われていたが、唐辛子は用いられなかった。
桃屋の瓶詰でおなじみのザーサイ(搾菜)も蜀、すなわち今の四川を根拠地にした劉備や諸葛亮はもちろん、四川料理の美食家である蘇東坡も決して口にしたことはない。
マーボー豆腐は近代の陳というおばあさんが発明した、と伝えられている。
その説にしたがえば、歴史はせいぜい百年ぐらいしかない。『中華料理の文化史』 張競 ちくま文庫
100年の歴史しかないということは、三国時代には麻婆豆腐は存在しなかったということになり、劉備も曹操も食べられなかったということになります。
もちろん、春秋戦国時代にもなかったわけで、信も、王賁も、蒙恬も食べられなかったということになります。
飛信隊、ざまあみろ。
信や王賁や蒙恬が何を食べていたのかが気になるところですが、劉備や曹操が何を食べていたのかも気になるところ。
「三国志料理大全集 赤壁の戦いで対戦した曹操軍と周瑜軍の料理の比較」
「キングダム知られざる秘話 秦王政と李牧は食べ物が違う」
とかとか、調べてみたり、考えてみたりするのも一興です。
『中華料理の文化史』はそういう、
「食文化は現在と過去では違うのだ」
というすっかり忘れていた当たり前のことを教えてくれます。
唐辛子はアメリカ大陸原産
ところで、気になったのは「唐辛子」。
そもそも唐辛子は中国の原産ではなく、明末に伝来したものである。唐辛子はアメリカ大陸原産。
大航海の時代にメキシコやアマゾニア原産の唐辛子が世界各国に広がり、栽培されるようになったのである(周達生、一九八九)。
(中略)
したがって、唐辛子が中華料理に使われるようになってから、せいぜい三百余年の歴史しかない。
辛さがセールス・ポイントの四川料理も昔は唐辛子は使われていなかった。
大航海時代が始まり、アメリカ大陸との通商・交易・文化交流などなど、がありました。
唐辛子のおいしさを、ヨーロッパ人が見つけられなかったらどうなっていたんだろう?
アメリカ大陸の人たちは「知っていた」かもしれませんが、ほかの大陸の人たちは「知らなかった」のです。
見つけられずに、今にいたったら?
激辛料理が嫌いな人には関係のない話ですが、そばに思いっきり七味かけちゃうような僕にとっては大打撃ですね。
よかった。見つけてきてくれて。
麻婆豆腐の材料
味の素HPから引用します。四川風麻婆豆腐の原材料です。
しょうゆ、食用植物油脂(大豆油、ごま油)、甜麺醤、豆板醤、砂糖、豆鼓、にんにく、食塩、チキンエキス、チキンオイル、唐辛子、にんにくパウダー、花椒、発酵調味料/調味料(アミノ酸)、糊料(加工でん粉、キサンタン)、パプリカ色素、(一部に小麦・大豆・鶏肉・ごまを含む)このように、唐辛子がなかったら麻婆豆腐ができなかったわけです。
ということで、アメリカ大陸から唐辛子が伝わらなかったら、陳婆さまが麻婆豆腐を発明することもできなかったことになります。
そうなると、僕たちは麻婆豆腐が食べられなかったことになります。
「そんなにムキになって麻婆豆腐食べたいの?」
というご指摘があると、そんなにムキになって食べるようなものでもないのですが。
価値観の多様性とは雑食性だ
もし、中国人が
「異文化はどんなものでも認めないぞ!」
という民族であれば、4000年かたくなに伝統を守って、今でも昔ながらの中華料理を食べられたことでしょう。
ところが、中国人はそんな選択はしなかったのです。
おいしければ何でも食べる。
それは「雑食性」というよりも「価値観の多様性」なのでしょう。
頑なに伝統を守ることよりも、美味しいものに進化することを優先させた民族だったのです。
そうやって4000年かけて進化してきたら?
おいしいに決まっています。
この雑食性、もとい、価値観の多様性は大いに見習うべきものがあります。