【君主論】弱小君主のしのぎ方【籠城しましょう】

読書,君主論読書,君主論

 『君主論』第10章は「どのように全ての支配者の力を測定すべきか」である。
 マキアヴェッリ曰く、

君主が必要な場合、自力で持ち堪えられるか、それとも常に他者の庇護を必要とするかがそれである。
 すなわち、
【自力で持ち堪えられる】豊富な人員と資金力で軍隊を集め、会戦で勝利できる
【他者の庇護を必要とする】会戦で勝利できないので、籠城に持ち込むしかない
 自力で持ち堪えられるようになりたいし、他者の庇護にすがりたくないもの。
 とはいっても、時勢と状況が許さず、自力で持ち堪えられないかも・・・・・
 そんな、
「君主になったけど、他の勢力に負けちゃうかも」
という人は、には籠城を薦めている。

城塞を強化せよ

 自分の国力はある程度わかります。

こうした君主に勧めたいのは都市の防衛を強化し、堅固にし、周辺の土地には気にかけないことである。
「都市の防衛だけでいいのか!」
「周辺の土地は諦めろというのか!」
人間というものは困難が発生するような企てに対しては常に反対であり、防備の行き届いた都市を持ち、民衆に憎まれていない支配者を攻撃するのは簡単なことではないからである。
 攻め込まれる立場の視点ではなく、攻め込む立場の視点で考えてみよう。
 だれが、堅固な要塞を攻めたいと思うだろう?
 しかも、民衆の支持を得ている国に。
 「この国(都市)を攻めるの、大変だな」
と、相手に思わせればいい。
 そうすれば、攻めてこられない確率が上がるのです。

耐え抜ける

 マキアヴェッリが証拠として挙げるのは、ドイツの都市。
 城壁も濠も堅固で、大砲も持っていて、1年分の備蓄がある。
 ということは、攻め込む立場に立てば、1年もの攻城戦を覚悟しなければならない。

この世の事柄は変転を免れず、軍隊とともに一年間包囲網を敷くほど暇な君主は到底有り得ないからである。
 おっしゃる通り。
 やることは他にもあるはずだし、その資金と兵力で別の国に攻め込んだほうがいい。
 他の国に攻め込んでいる間に、自分の国が攻め込まれたら―――――となるから、ドイツの都市は自由でいられる。
 そんな、ドイツの都市を見倣えば、耐え抜けるのです。

君主としての力量を発揮せよ

 攻める側としては当然だが、都市・城塞の攻略を容易にするために、周辺の土地を略奪の限りを尽くすだろう。
「そうなる前に手を打ってくれ!」
という臣下はいそうなものだが。
 それでも心配することはない。

数日が経ち、心が冷静になると、すでに損害は発生し、苦しみは加えられ、もはや施す術はないということになり、彼らは君主とますます一体化していく。
 確かに、損害は発生した後なのだが。
強力で勇気のある君主は、災いは長く続かないという希望を臣下に与え、敵の残酷さに対する恐怖感に訴えたり、あるいは非常に大胆と思われる者からは巧みに自らを守るなどして、常にこれらすべての困難を克服ものである、と答えよう。
 「自国 VS 他国」
の視点で考えると、勝ったり負けたりは仕方のないこと。
 しかし、「自分の国の統治」や「君主としての力量」は、相手の問題ではなく、自己の問題。それは自分の力で克服できることです。
 君主として、臣下に希望を与えよう。
 君主として、困難を克服しよう。
 君主であるのなら、これぐらいの力量を持ちましょう。

自分の国は自分で守る

 マキアヴェッリの『君主論』は
「自分の国は自分で守る」
ことを主張しています。
 それは、イタリア、特にフィレンツェが、傭兵隊に侮られ、外国の援軍に悩まされたからです。
参照:【君主論】傭兵隊に対する批判。そして反省。【証拠を挙げて検証】
参照:【君主論】援軍について【自分の国は自分で守る】
 だから、たとえ弱小国であろうと、傭兵に依頼しようとか、外国に援軍を求めようとか、はやってはならないことなのです。
 自分の国は自分で守る。たとえ、弱小君主であろうとも、です。
 ゆえに、
「弱小君主はこうやって、自分の身を守れ」
ということを。教えてくれています。
「会戦では勝てないから、籠城せよ」

まとめ

 弱小君主といえども、自分の国は自分で守りましょう。
・防衛を強化すること
・耐え抜ける
・君主として力量を身につけること