【読書】『小説 イタリア・ルネサンス1ーヴェネツィアー』【武器を交わさない戦い】
ルネッサンス期のイタリア、ヴェネツィア。
主人公マルコ・ダンドロは元老院議員。
10年ぶりに再会する親友、アルヴィーゼ・グリッティは、なぜか「恥じいる乞食」に身をやつしている。
アルヴィーゼは、私生児と言えども、ヴェネツィアの元首の子ども。しかも、コンスタンティノープルで商売に成功しているはずなのに。
「なぜ?」と疑問に思っていたマルコは、ヴェネツィア共和国の政治の中枢、十人委員会(C・D・X)に任命され、トルコとの外交を担当することに。
そこで、アルヴィーゼがコンスタンティノープルで商売をしていただけではなく、「恥じいる乞食」に身をやつしていた理由も知ることになるのである。
(注)恥じいる乞食:身元がバレないように、目だけあいた黒衣をまとって物乞いをする、落ちぶれた貴族や金持ち。この格好をするには、国家の許可が必要。
貿易国として成立していたヴェネツィアは、難しい立場に立たされていた。
西ではスペイン王カルロスが神聖ローマ皇帝を兼ね、キリスト教国家最高の権力を握ることになる。その権力でヴェネツィアを傘下に収めようとする。
それを牽制できるキリスト教国はフランスなのだが―――――当時のフランスは役に立たない。
東ではトルコが勢力を広げているので、東地中海交易をしようと思うのなら、スルタンの機嫌を損ねようものなら、交易ができなくなる。
かといって、トルコのスルタンに従ってしまったら、スペインに何されるか分からず、キリスト教国家全体を敵に回すことになり、それも交易の障害になる。
理想は、トルコがスペインを牽制してくれることで、そう仕向けたいところだが、そんなことがバレたら、キリスト教国家を敵に回してしまうことになるから、ダメ。
ヴェネツィア共和国の名誉ある独立を守るために、スペインについてもダメだが、トルコについてもダメ。フランスは役に立たない。
マルコは思う。
外交も、武器を交わさない戦いではないか外交とは、武器交わさない戦い―――知性の戦場なのである。
そんな中、アルヴィーゼが提案したのは、自分がハンガリー遠征の総司令官になること。
自分は私生児だから公的には自由な立場であること。だから、スペインをはじめとするキリスト教国を刺激しないで済む。
そして、トルコに恩を売れば、ヴェネツィア共和国の外交も有利になる。
ついでに、自分の野心も達成できる。
と、アルヴィーゼもずいぶんなギャンブルを始めてしまう。
この時代のヴェネツィア共和国の立場は、現代でも応用できるのでは?
あちらを立てればこちらが立たずになるけれど、微妙なさじ加減をしながら自己の確立を目指していくところ。
相当のバランス感覚と知性が必要になるんだけど、それをヴェネツィアから学習するのが、「歴史を学ぶ」ことなのです。