【読書】『ファクトフルネス』【多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない】

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ユリウス・カエサル
人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前[上] 8』 塩野七生

 『ファクトフルネス』を読んでいたら、カエサルの言葉を思い出した。
 IT革命とか情報革命とかがあって、情報量が増えているのに、世界を正しく見てないなんてことあるの?
⇒ と思ったら、僕も正しく見ていなかった。
 カエサルの言葉を理解する方法として、本書は、

  • 分断本能
  • ネガティブ本能
  • 直線本能
  • 恐怖本能
  • 過大視本能
  • パターン化本能
  • 宿命本能
  • 単純化本能
  • 犯人捜し本能
  • 焦り本能

 この十個の視点から解説してくれる。
 この十個の視点は、人間が原始時代から生き延びるのに役に立ってきた本能。
 「本能」であるがゆえに、暴走しやすいし、気がつきにくい。
 その「本能」の暴走を止め、上手く付き合っていく方法を教えてくれます。
 その中で、二つだけピックアップします。

ポイント

  • 本能と上手く付き合うために、視点の偏りに気をつけよう。安直な二分法を使ってしまうと事実を見落としてしまう。
  • 知識をアップデートしよう。定説が覆されているかもしれない。
  • 「ファクトフルネス」を実践するには、「謙虚さ」と「好奇心」だ

分断本能

話の中の「分断」を示す言葉に気づくこと。それが、重なり合わない2つのグループを連想させることに気づくこと。多くの場合、実際には分断はなく、誰もいないと思われていた中間部分に大半の人がいる。

●「極端な数字の比較」に注意しよう。人や国のグループには必ず、最上位層と最下位層が存在する。2つの差が残酷なほど不公平なときもある。しかし多くの場合、大半の人や国はその中間の、上でも下でもないところにいる。
 これは、実は、『韓非子』に書いてあることだ(どこだったかは、忘れました)。
 儒家の問題点として、堯や舜というような聖王と、傑王や紂王のような暴君を例に挙げて、議論を進めていく。
 『韓非子』は、その間の中程度の君主を前提として、議論をすすめなけれならない、説いている。
 それと同じ論理で、「先進国」と「新興国」という二つの言葉を使ってしまうと、その間に中程度の国があることに気がつかなくなってしまう。
 つまり、安直な二分法がよくない、ということだ。

 では、どうすればいいのか?
 それは「代わりの呼び名を用意する」ことだ。
 「先進国」「新興国」という一本の線で分断した二分法ではなく、あと二本線を引いて四分法にすればいい。
 すなわち、「先進国」と「新興国」ではなく、「レベル4」「レベル3」「レベル2」「レベル1」。
 たったそれだけのことで、見えなかったことが見えてくる。

宿命本能

 いろいろなもの(人も、国も、宗教も、文化も)が変わらないように見えるのは、変化がゆっくりと少しずつ起きているからだと気づくこと。そして、小さなゆっくりとした変化が積み重なれば大きな変化になると覚えておくこと。
 宿命本能を抑えるには、ゆっくりとした変化でも、変わっているということを意識するといい。

●知識をアップデートしよう。賞味期限がすぐに切れる知識もある。テクノロジー、国、社会、文化、宗教は刻々と変わり続けている。
 ヒントがあったのです。
 『アウトプット大全』によると、「25年前には脳細胞は増殖しない」という定説が、「最近の研究では脳細胞が新しくつくられている」と覆されたことが書かれていた。

ファクトフルネスを実践しよう

 「ファクトフルネス」を実践するには、「謙虚さ」と「好奇心」だ。

謙虚であるということは、本能を抑えて事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。
好奇心があるということは、新しい情報を積極的に探し、受け入れるということだ。
 世界は変わり続けている。知識不足の大人が多いという問題は、次の世代を教育するだけでは解決できない。学校で学ぶことは、学校を出て10年や20年もすれば時代遅れになってしまう。だから、大人の知識をアップデートする方法も見つけなければならない。
 知識を「仕入れる」ことしか考えていなかったらしい。知識を「アップデート」することも考えなければならないのだ。
もし、本書の感想をどこかで書いてくださるのであれば、あなたが以前、本能に支配されてしまったエピソードを添えてみるのはいかがでしょうか。
 これが一番実行しやすいような気がする。
 うかつに書くと恥ずかしいから、書かないのだけれど。