【読書】『改革の不条理』【制度と人間を活用する】
本書で取り上げる「改革の不条理」は多方面にわたる。
しかし、主語を変えたり、商品・製品・サービスを変えてたりしてみても、現在進行形で通用してしまう―――――「問題」が変わっていないのだ。
それはなぜか?
失敗したり、不祥事を起こしたり―――――それはもちろん悪いことなのだが―――――非難を繰り返すだけでは、問題が解決しないからだ。
問題を解決するには、対策を考えるしかないのである。
- 人間は合理的に失敗する
- 批判的議論を行う
- 流れるような組織を作る
- 自律性が必要
- 制度と人間を活用する
人間は合理的に失敗する
人間は、全知全能の神ではない。ゆえに、完全に合理的な行動がとれるはずがない。
しかし、だからといって無知で無能力というわけでもない。
人間は完全に合理的でなければ、完全に非合理で無知でもない。その中間にある―――――限定合理的なのである。
限定合理的な人間が、合理的に失敗してしまうのは、次の3つの要因による。
- 全体合理性と個別合理性が一致しないとき
個々人や個別組織が、全体合理性を捨てて、個別合理性を追求してしまうと、全体が非効率になってしまう。 - 正当性(倫理性)と効率性が一致しないとき
効率追求のために、ルール・モラル・マナーを放棄したら?
個々人や個別組織は、正当性を捨てて、効率性を追求する。
結果、不正となって失敗する。 - 長期的帰結と短期的帰結が一致しないとき
個々人や個別組織が、短期的な利益を追求し、全体合理性や正当性を放棄したら?
10年も20年も悪事が隠蔽できるわけがない。よって、短期的に成功しても、長期的に失敗する。
改革できない理由
菊澤研宗さんは、改革できない理由として、
- 取引コスト理論
- エージェンシー理論
- 所有権理論
- プロスペクト理論
の4つを挙げている。
全部書いてしまうと助長になるので、「エージェンシー理論」だけを取り上げる。
といっても、いつかどこかで他の3つの理論に触れることになるだろうけど。
エージェンシー理論
「エージェンシー理論」では、すべての人間関係を「依頼人(プリンシパル)」と「代理人(エージェント)」に分けて分析する。
両者とも限定合理的なので、それぞれ異なる利己的な利益を追求する。
また、両者の持っている情報も互いに違っている。
このような関係の下では、エージェントはプリンシパルの不備につけ込んで、隠れて手抜きを行って、利己的利益を追求したほうが合理的になる。
一般には、「道徳欠如(モラル・ハザード)」と呼ばれる問題である。
このような場合、良き効率的なエージェントたちは契約を避け、悪しき非効率なエージェントたちだけが、プリンシパルとの契約を結びにやってくるという「逆選択(アドバース・セレクション)」も発生する。
進化論では、優れたものが生き残ることを「自然選択」というが、これはその逆だという意味である。
利益と情報を一致させる
エージェンシー問題の基本は、プリンシパル(依頼人)とエージェント(代理人)との間の、利害の不一致と情報の非対称性にある。
この問題を解決させるためには、
- 利害を一致させること
- 情報の非対称性を解消すること(情報が共有できるようにする)
が必要になる。
また、エージェントが常に悪者になるのだが、ある関係においてはエージェントとプリンシパルであったとしても、別の問題になると立場が逆転する。
つまり、エージェントとプリンシパルという関係は相対的なものであり、絶対不変の関係ではない。
「逆の立場から見たらどうなるか?」
ということを常に考える訓練をしておくことが、エージェンシー問題を解決するヒントになる。
どうするか?
似たような問題を繰り返す、というのは成長していないということだ。
成功事例に浮足立つのでもなく、失敗事例にふさぎ込むのでもなく、事例ひとつひとつを理論にもとづいてしっかり分析していくことで、教訓を未来に役立てていく姿勢が大切ではないだろうか。成功したら成功したで、要因を分析し、次のチャンスにつなげていけばいい。
自分や自分たちが失敗したら、敗因を分析し、次の失敗を回避する。
他人が失敗したら失敗したで、非難で終わるのではなく、自分や自分たちが同じような失敗を避けるためにはどうしたらいいのかを考えることだ。
批判的議論を行う
菊澤研宗さんの指摘するように、「批判」という言葉にネガティブなイメージを持っている。
僕もそうだったから反省して修正したのだが、「批判」と「非難」を混同しているからである。
「悪い」「失敗」「不正」「非効率」ということを、いくら声高に叫んでみたところで、現実は何も変わらない。
現実を変えるためには、
- どこまで正しさを追求するか
- どこまで効率を追求するか
- そのバランスをとるためにどうするか
を議論することである。
繰り返すが、人間は完全に合理的でなければ、完全に非合理で無知でもない。その中間にある―――――限定合理的なのである。
したがって、完全に正しく、完全に効率的であるというものを作ることはできない。
より正しいもの、より効率的なもの、を追求するしていく姿勢が大事なのである。
見方を変えれば、批判とは限界を明らかにすること、である。
どこまでが正しく、どこからが認められないのか、の限界を確定する議論である。
「エージェンシー問題」で考えてみれば、「依頼人(プリンシパル)」と「代理人(エージェント)」の持つ情報が100%一致して、利害関係が100%一致するようにするのは、現実的ではない。
どこまで情報を共有でき、どこまで利害を一致させるか、の「限界」を考えなければ、現実に打てる手は何もなくなる。
より一層、情報が共有できるようにすること。より一層、利害関係を一致させること。それを追求する姿勢が重要なのである。
流れるような組織を作る
野中郁次郎さんは「企業とは生き生きと活動する組織であり、時間的な流れの中でその活動に含まれる様々な関係の『フロー(流れ)』そのものとみなすことができる」という「マネージング・フロー」という企業感を打ち出している。
このようなフローとしての企業間に従えば、
【正】フローとして存在している組織。絶えず流れている組織。
【誤】よどんでいたり、止まっている組織。
ということになる。
流れるような組織では、
- 暫定的な戦略を立てる
- 批判的議論を繰り返し、誤りを見つけたらそれを排除する
- 是正すべき問題がないのなら、そのまま実行する
- 新しい問題が発見したら、排除する
- そこで生まれた結論を新しい戦略として実行する
- それを繰り返す
こう考えていくと
「問題が変わらないのが問題」
なのである。
同じ問題が繰り返されるということは、批判的議論を行っていない、誤りを見つけていない、誤りを排除できない、ということである。そのような組織は早晩、淘汰される。
他方、古い問題と新しい問題が違うのであれば、批判的議論を行い、誤りを見つけ、誤りを排除している、ということである。このような組織は生き残ることができる。
自律性が必要
悪徳的に利益を稼ぐことに成功しても、一時的なことだ。破滅が待っている―――――10年も、20年も悪事を隠蔽できるわけがない。
不正が明らかにされたら、消費者から疑いの目で見られ、社会全体から監視され、最終的にそのコストを負担させられることになる。
それならいっそのこと、企業自身が自ら進んで情報を公開し、消費者と利害を一致させる活動を行ったほうが、より効率的だということになる。
他人に言われたから行動する「他律的な企業」よりも、むしろ自らの身の潔白を訴えていくような「自律的な企業(自らを律して活動する自由な企業)」のほうがより効率的なのだ。
改革の不条理から脱するには、人間の自律性が必要なのである。
制度と人間を活用する
人間の他律的側面を利用しての問題解決には限界がある。制度自体が不完全だからである。
そもそも、多様な制度を形成したり、制度に従ったりすることそれ自体に、多大な手間暇(コスト)および金銭的なコストがかかる。
制度に従う他律的な人間がこのコストの存在を認識すると、そのコストの大きさに反応し、むしろ制度を形成せず、何もしないでいるほうが合理的と判断してしまう場合もある。
しかし、人間の他律的側面を否定するのも現実的ではない。完全合理的な人間がいない以上、人間とはそういう傾向があることを認識して議論を進めることだ。
考えるに、人間の「自律性」と「他律性」は車の両輪のようなものなのだ。どちらか片方では車は走れない。
制度を作るのが人なら、その制度を修正するのも人間である。
「自律性」と「他律性」を効果的に組み合わるようにしていくことである。
まとめ
- 人間は合理的に失敗する
- 批判的議論をする
- 流れるような組織を作る
- 自律性が必要
- 制度と人間を活用する