【読書】『コロナ自粛の大罪』【「これからどうするか?」を考え続けよう】

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「これだけパンデミックなウィルスなのに、コロナにかかった友だちいないな?」
 ぼくに、友だちが少ないだけなのかもしれないので、周りに聞いてみた。
 具体的に言ったら、電話帳などでつながりのある人でコロナにかかった人いる?
 今のところ誰もいないので、「友だちの友だち」でもいないということになる。
 それにしても、パンデミックなウィルスにしては、妙だ。
 そんな僕の疑問に答えてくれた本ではないのだが、
「そういう見方もあるんだな」
「言われてみればそうだな」
ということが書かれていて、興味深いです。

ポイント・「これからどうするか?」を考え続けよう
・情報を集めて、分析しよう
・建設的な議論をしよう
・目標を設定しよう

情報を集めて、分析しよう

東京都の人口を1200万人とすると、陽性者1500人は8000人に1人にすぎません。一般の人の知り合いの数は数十人から多くて数百人で、1000人を超えることはまれでしょう。それから考えると、この期間に「知人がコロナ陽性になった」という人は、都内在住の人でもかなり少ないはずです。

 ぼくの疑問に答えてくれたのは、これでした。
 5000人だとしても、2400人に1人なので、そんなに友だちはいないです。
あれほど恐ろしいと思っていたウィルスだが、蓋を開けてみれば昨年12月末までに新型コロナで亡くなったのは3459人だった。
昨年の新型コロナの致死率は、陽性者ベースで約1.6%、人口をベースにすればおよそ0.003%(36万人に1人)にすぎない。
 もちろん、一人ひとりの死は重い。
 しかし、「致死率」という数字で計算すると、100人に1人か2人という死亡リスクなのに
ここまで人びとの健康や自由、尊厳、文化を損なう対策を押し付ける必要がどこにあるのか
 新型コロナウィルスのすべてが解明されているわけではない。
 しかし、1年もたっているのだから、分かってきたことがある。
 日本は欧米諸国に比べると感染者数も死亡者数も桁違いに少ない。それはひとえに国民一人ひとりの努力の賜物なんです。
 ということで、世界の新型コロナウィルスの感染者数や死亡者数を見ながら、電卓をたたいてみました。
 各国のデータのとり方に違いがあるかもしれないが、それを考慮に入れても、日本は圧倒的に少ない。
 「人口10万人当たりの感染者数」で見ても、日本は少ない。
 ちなみに、日本国内でも、各都道府県でムラがあるので、ムラの高い都道府県は危機感を高めてしまうのは、致し方のないところだ。
 いずれにせよ、感染者数、死亡者数は、欧米に比べれば何十倍も差がある。しかも、日本には160万もの病床がある。それなのに、なぜ「医療崩壊」が起きるのか?
一部の医療機関だけに負担がかかりすぎてしまう。その一部に集中しているがゆえの疲弊を、医療界全体の疲弊であるかのように言っているのが間違いなんです。
 ちなみに、スウェーデンはロックダウンをせず、国民に「望ましい行動」をとるように勧告しつつ、これまでの日常生活を続ける独自の政策を取りました。
 経済的ダメージはヨーロッパ諸国の中で最小だったと伝えられている。
 そして、死亡者数もヨーロッパ諸国の中では中位。
 しかし、スウェーデンは積極的な隔離政策を取らなかったために短期間のうちに施設の高齢者が大勢亡くなり、国内外から非難を浴びました。
 それでは、「日本は?」というと、

 実は、インフルエンザによる集団感染が問題になり始めてから、施設にいる高齢者たちは、冬に隔離されるようになったんです。秋になるとインフルエンザワクチンを打って、タミフルを予防投与されて、春が来るまで徹底的に感染予防される。

日本のコロナ死亡者の大きな特徴として高齢者施設の死亡率の少なさを挙げることができます。これは欧米諸国と比べ、格段に厳しい日本の高齢者施設の隔離処置や衛生努力の賜物であり、新型コロナから見れば、日本の高齢者施設は、難攻不落の要塞のように見えたのではないかと思えるほどです。

 ようするに、インフルエンザで学習し、対策を取り、それが成功したから、新型コロナウィルスにも対抗できた。
 国民一ひとりの努力も素晴らしい。高齢者施設でも優秀な対策を取れている。
 個人としては優秀なのに、国としてまとまると、なんでこうなっちゃうのか、不思議に思う。

建設的な議論をしよう

 ウィルスに対して分かっていることは、これしかない。

確固たるエビデンスとして今わかっているのは、人と接しないことです。
 なので、よく分からない新型ウィルスが発生したら、ロックダウン・移動制限をするしかない。
 分かってきたとしても、「人と人の距離を取ろう」というのは、当然のことだ。

コロナのことを最初から分かっていた人はいない。誰だって間違いの連続なんだから、修正しなきゃダメなんです。それなのに修正できていない。第一波、第二波で学んでいないんです。それで結局、緊急事態宣言を出して同じことをやっている。

 結局、第三波、第四波、第五波ときて、緊急事態宣言を繰り返している。
 新型コロナウィルスのことを、最初から分かっていた人はいない。それで失敗したところで、責めることは誰にもできない。
 しかし、分かってきたことがあるのだから、それをふまえ、検証して、反省して、修正する。要するに「PDCA」というものだ。

ワクチンの推奨派も反対派も両方とも問題があると思います。どちらも頑なに自分たちの意見を押し付け合うだけで、相手の意見を聞く姿勢が見られません。ですから、叩いたり、叩かれたりするのです。ワクチン法律的に義務ではないのですから、互いに相手を非難し合うのではなく、自分たちは自分たちのしたいように「受けたい人は受ける、受けたくない人は受けない」という当たり前のことができる社会にすることが大切だと思います。
 意見の押し付け合い。相手の意見を聞かない。叩いたり、叩かれたり。
 これは、「口ゲンカ」と呼ばれるものであって、「議論」ではない。
 「口ゲンカ」で国策が決められているとは考えたくもないし、そうではないと信じている。
 「口ゲンカ」から建設的な結果は得られない。
 「建設的な議論」を繰り返し、過ち・非合理・非効率なものは排除し、より正しく・合理的で、効率的なものを選択していく。
 そういった「当たり前のこと」ができるようにならなくてはならない。

目標を設定しよう

具体的にどうなったらいいのか、自分の頭では考えてないんですよ。

「これからどうしようか?」
ということを考えずに議論を進める、というのも難しいものだ。
 目標を設定する。
 そのために議論を繰り返す。
 正しい議論をするために情報を集める。
 言われてみればそうだったので、考えてみました。

 ぼくとしては、「アフター・コロナ」の世界として「ゼロ・コロナ」を目指すのは、難しいと思う。
 「ウイズ・コロナ」のほうが可能性は高い、と見ているので、あんなこんなを書いてみた。

大切なのは、安心できるように医療を施してあげるべきということ。

安心してコロナにかかれるようになれば、いたずらに不安になる必要はなくなる。

 日本では、感染者ベースでも100人で99人か98人は回復する。それなら、安心して治療できる可能性が高い。
 危険なのは、高齢者や基礎疾患のある方なのだが、高齢者に関しては上述しました。基礎疾患を持っている方は注意と警戒が必要だが、そうではないのなら健康的な生活を送るようにすればいい―――酒は飲むけど。
 ワクチン開発競争に負けた―――――本当に負けたのだろうか?
 まだ「完全敗北」したわけではない。
 ワクチンの副作用が報告されているのだから
「日本産ワクチンは副作用がないですよ」
というものを開発すれば、巻き返しはできる。
 それに、まだ「治療薬開発競争」が残っている。それに勝てればいい。治療薬があれば、もっと安心だ。
 「開発できる土壌がない」のであれば、これから作ればいい。そうすれば、次の感染症危機対策がスムーズに進められる。
 そうやって
「日本では、安心してコロナにかかれて、安心して治療できる国だ」
となれば、世界的な評判も高まるだろう。
 治安に関しては世界トップクラス。防災に関しても世界トップクラス。「対コロナ」でもトップクラスになれば、「安心・安全な日本」でアピールできる。

 とかなんとか考えてみたのだが、
コロナ → 不安 → 緊急事態宣言
ではなく、
情報を集めて分析する → 対策を考える → これからを考える
という方が、よほど建設的で、前向きになれる。
 そのためには、思考停止しないこと。
 過ぎたことを悔やんでいても、何も始まらない。
 1年間違えることよりもっと悪いことがあるとしたら、1年と1日間違えること。
 だから「これからどうするか?」を考え続けよう。

まとめ

・「これからどうするか?」を考え続けよう
・情報を集めて、分析しよう
・建設的な議論をしよう
・目標を設定しよう