【読書】『ヒトは「いじめ」をやめられない』【アプローチの仕方を変える】

読書読書,ヒトは「いじめ」をやめられない,中野信子,脳科学

 もしかしたら「いじめを根絶しよう」という目標そのものが、問題への道を複雑にさせているのではないでしょうか。「いじめは『あってはならない』ものだ」と考えることが、その本質から目をそらす原因になってしまっているのではないでしょうか。

 いじめは、子どもの世界だけでなく、大人の世界にもある。
 そして、時代も国も問わずに、どこにでも発生する。
(引用注:近年の研究で)社会的排除は、人間という生物種が、生存率を高めるために、進化の過程で身につけてきた「機能」なのではないかということです。
 つまり、人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるから、ということです。
 人間が生存率を高めるために身につけてきた機能が、暴走、あるいは過剰反応している。それが「いじめ」となってあらわれているのではないか。
 だからと言って、いじめは倫理的に許されるものではない。
 それに、脳をだますことや、脳をコントロールすることは、多くの研究が明らかにしているように、可能なことなのです。
 本気でいじめを防止しようと考えるのであれば、「いじめが止まらないのは、いじめが『やめられないほど楽しい』ものだからではないか」という、考えたくもないような可能性を、あえて吟味してみる必要があるのではないでしょうか。
 いじめを「あってはならないもの」と考えるアプローチから離れること。
 そして、いじめは存在するけれど、それをコントロールすることはできるというアプローチに転換すること。
 アプローチの仕方を変えれば、いじめ対策の現状の矛盾を解消し、限界を超えることができるのではないか。
 脳の性質やいじめという行動についての科学的理解が深まることで、より有効なアプローチを切り出すことができ、一人でも多くの人に救いや展望が生まれることを願っています。

ポイント

  • いじめの対応策を考える上では、いじめは常にある、必ず起こりうるという意識を持つこと。
  • 脳科学的には、人の脳は”いじめ”をするための”本能”が組み込まれている可能性は非常に高い。
  • 「この本能をどうコントロールするのか」という方向で考えることが、矛盾と解消し、現状の限界を超えられる。

いじめの「快感」

制裁行動は必要

 協力行動を取らない人、邪魔をする人、ズルをする人、などなど。
 いわゆる「フリーライダー」と呼ばれる人は、集団を内側から破壊します。したがって「フリーライダー」を排除しなければ、社会的集団を維持することはできない。
 学術用語で、「フリーライダー」を見抜く機能は「裏切者検出モジュール」、制裁行動は「サンクション」と呼ばれている。
 また、反社会性とは反対の意味で「向社会性」と呼ばれるものがある。「向社会性」は、社会のために何かしよう、他人のために役立とうとする性質で、それ自体は悪いものではなく、むしろ、なくてはならないもの。
 しかし、向社会性が高まりすぎると、反動として、排外感情の高まり(自分たちとは違う人々に対する敵対心、不当に低く評価する気持ち)、「過剰な制裁(オーバーサンクション)」が生じるというリスクもある。
 「いじめ」は、「フリーライダー」を排除したいという理由から生じた、「裏切り者検出モジュール」「サンクション」「向社会性」の暴走、あるいは過剰反応という見方もできる。

脳内物質

 オキシトンという脳内物質は、愛情を感じさせたり、親近感を感じさせる、人間関係を作るホルモン。
 しかし、オキシトンが仲間意識を高めすぎてしまうと、「妬み」「排外感情」も同時に高めてしまうという、負の側面を持つ。
 集団の規範を守る方策が誤った方向に進むと、制裁を加えたり、排除の方向に進んでしまいます。
 また、人は集団の一員として行動しているとき、道徳心や倫理観に関わる内側前頭前野という領域の反応が落ちることが分かっています。
 つまり、グループになることにより、倫理観、道徳的判断が低下し、ブレーキが利かなくなること、自分と敵対する人を不当に低く評価する傾向も高くなる。

 セロトニンは「安心ホルモン」と呼ばれ、セロトニンが多く分泌されているとリラックスしたり、満ち足りた気持ちになり、セロトニンが少ないと、不安を感じやすくなる。
 分泌されたセロトニンの中で、余ってしまうセロトニンをリサイクルする「セロトニントランスポーター」と呼ばれるたんぱく質があります。
 「セロトニントランスポーター」の量は遺伝的に決まっており、人によって違います。ちなみに、日本人は「セロトニントランスポーター」が少ないという研究があります。
 セロトニンの量が減ると前頭前野の働きが悪くなるため、情動を抑えられなくなるだけでなく、共感、計画性、意欲といった、適切な社会行動を取るための能力が低下します。

 ヒトは、快感を感じるときには、ドーパミンが働きます。
 サンクションは平たく言うと、攻撃です。そして、攻撃をすれば仕返しされる、つまり、リベンジの恐れがあります。また、自分の仕事をほったらかしにしてサンクションの行動をとるわけですから、自分のことだけ考えたら、本来は損な行動です。
 制裁行動には、利もなく、合理的でもないのに、それでもサンクションを行ってしまうのは、「快感」を感じるからなのです。
 人間の脳は、理性のブレーキを上回るほど、攻撃することによって得られる「快感」を感じるようにプログラムされている。
 所属集団と種を守るために、ルールに従わないものに「正義」をもって制裁を加える。そこには正義達成欲求や、それによる所属集団からの承認欲求という「快楽」を感じているのです。

いじめの傾向

標的は弱い人

 いじめられやすい人の特徴として、体が小さい人・体が弱い人・太っている人・行動や反応が遅い人、が挙げられます。また、反抗しなさそうな人、言い返さない人なども、いじめられやすいと言えます。
 これは、”泣きたくなるような”単純な理由ですが、サンクションを行うとき、リベンジが少なそうな人を選んでいるから。
 ネットの社会で炎上が起きるのも、どんなに過激な言葉を使っても、匿名性があるのでリベンジされるリスクが低いから、という”情けなくなる”理由があります。

「類似性」と「獲得可能性」が妬みを招く

 心理学的には、妬み感情が強まるのは、互いの関係において、「類似性」と「獲得可能性」が高くなるとき。
 「類似性」とは、性別や職種や趣味嗜好などが、どれくらい似通っているか。つまり、自分と同じくらいの立場の人が、自分よりも優れたものを手に入れていると、より悔しいという感情が生まれやすいのです。
 「獲得可能性」とは、相手が持っているものに対して、自分もそれが得られるのではないかという可能性のことです。
 学校は、似たような年齢の子どもが集まり、似たような目標に向かっていくという、「類似性が高い」「獲得可能性の高い」人間関係です。つまり、妬みの感情が非常に起こりやすい環境が整っているのでう。ゆえに、「類似性」と「獲得可能性」を弱める仕組みが必要です。

心理学の専門家ですら罠にはまる

 いじめている側をどんなに諭そうとしても、「正義を行っている」という無意識的な大きな満足があります。
 あるいは「正義」を行う「快感」の中毒になっているので、止めることはかなり困難である。
 「裏切り者検索モジュール」が存在し、「オーバーサンクション」が発動してしまっていると、無意識にいじめる側に同調してしまうことすらあります。

 スタンフォード大学で行われた、”看守”役と”受刑者”役に分かれた有名な「監獄実験」があります。
 その行動はどんどんエスカレートしていき、6日目に中止されました。
 中止された理由は、たまたまこの実験を見学しに来た恋人の女性心理学者が、あまりにもひどい状況にショックを受け、今すぐ中止すべきだ、と忠告したからです。
 監獄の様子はモニターされ、状況も把握していたというのに、責任者まで「罠」にはまっていたのです。
 この実験から分かることは、誰であっても、システムと状況次第で悪魔になりうる、そして、正義という脳内麻薬の中毒になってしまうということです。

いじめの回避策

 「裏切り者検出モジュール」「サンクション」「向社会性」のひずみが「いじめ」であるのであれば、「いじめはあってはならないもの」というところからスタートする回避策が効果的とは思えません。
 また、いじめの加害者も、正義の傘の下で「いじめ」を行っているので、諫めるのも困難です。それに、心理学の専門家ですら、罠にはまるのだから、困難を極めます。
 「いじめはあってはならないもの」なのですが、「ヒトは”いじめ”をやめられない」という傾向があることを念頭に対策を講じたほうが、有効です。

メタ認知:自分を客観視する

 「自分の感覚」と「相手の感覚」では、基準が違うことに気がつけないことが多々あります。
 また、相手の目線が自分のどこに向けられているのかに気づいていないのです。
 価値観は人それぞれなので、上手に人間関係を築くためには、相手の基準とうまく間合いをとりつつ付き合うことが大事です。
 人間関係を改善するためには「メタ認知」を高めるという方法があります。メタ認知とは、自分自身を客観視する能力のこと。
 自分はどういう類の人間で、周りからどう見えているのか、どう思われているのか、自分の発言で周りの人にどういった影響を与えるのかなどを考えながら、自分のとるべき言動を判断するのです。
 相手の基準に自分を無理に合わせることはありません。ただし、相手の基準がどうであるかを知っていれば、間合いのとり方をも見えてきます。
 いじめの厄介なところは、人間関係の距離感を保てないこと。自分の”正義”を振りかざし、攻撃することに”快感”を感じ、それに”気がつかない”ことです。
 どこまで客観視できるかがカギとなります。

アサーティブ・コミュニケーション

 回避策の一つは、アサーティブなコミュニケーション力です。
 自分の意見を無理に押し通すのではなく、相手の意見も尊重しながら、率直に自分の意見を話し姿勢を「アサーティブ」と言いますが、日本人はこれがとても苦手です。
 アサーティブなコミュニケーション力を身につけるために参考になるのは、芸人さんたちです。芸人さんたちの言葉の操り方を真似ましょう。

女性には「共感」で対応する

 女性は、出産・育児をするため、他者からの攻撃に対して自分や子どもを守ることができない期間があります。集団でいる方が安全であるため、集団から外れることに対する恐怖も大きくなります。
 そのため、自ら集団を作りつつ、自分が不利になりそう、自分の子育てに不利益を与えそうな人に対しては、集団の力を使って排除してもらおうと動いてしまうのです。
 よって、話を最後まで聞き、背景にある不安な気持ちに「共感」することが有効です。
 これは、女性が男性に比べてセロトニンの合成能力が低いために、不安感をより強く感じてしまう特性に配慮した対応策です。
 現在の状況を具体的に伝えることも一つの解決策です。
 大切なのは、相手に安心してもらうためのポイントを抑えるということ。多くの時間とエネルギーを費やす必要はありません。こういう対応をすれば大丈夫という、それぞれのタイプに合わせた、勘所を抑えるのです。

子どもの回避策

 子どもはごくシンプルに「成熟していないヒト」である、という現実を認識する必要があります。
 子どもたちの間で起こるいじめの中でも、自殺にまで追い込むような過激ないじめは、小学校の高学年から、中学二年生に多くなると言います。
 人間の脳の仕組みというのは、生まれた直後に神経細胞が急激に増え、その後、すぐにその神経細胞の刈り込みが起こります。その結果、脳の中には必要な仕組みだけ残っていくのですが、それと同じようなことが、この年代の子どもの前頭葉でも起こるのです。
 また、性ホルモンは、この時期に特に増えることがわかっています。また、テストストロンの分泌量は、9歳から急激に増えて、15歳になるまでピークに達します。
 つまり、この時期の脳は新しく生まれ変わるほどの大きな変化があり、言動においても、まるで人格が変わってしまったかのような変化が起こっても不思議でもありません。
 いじめの加害者側となってしまう生徒たちも、自分の暴力性や攻撃性をうまく処理できなくて困っているのかもしれません。
 情動にブレーキをかける前頭前野も育ってほしいものですが、前頭前野が成熟するのは30歳前後です。まだこの時期は、理性のブレーキは不十分です。
 そのため、周囲の大人は、この時期の子どもに対して、脳が成長過程であることを踏まえた注意と対応が必要だと言えます。

 現状の学校現場では、誰も見ていないところで相手を攻撃すれば自分が損をすることはありません。
 つまり「賢く相手を攻撃したもの勝ち」という構造ができあがってしまっているのです。これでは、大人が見えないところで隠れてやってしまうだけです。
 警察OBや、セキュリティ会社の人など、公平に選ばれた学校関係者以外の第三者に巡回させる、という方法も、有効です。
 また、防犯カメラの設置も有効な手段です。

 文部科学省としては、いじめや重大事態が発生したら、速やかに報告してほしいと考えているのかもしれません。とはいっても、いじめはない方がいいけれど、もしあったら報告してほしいというのは、やはり矛盾したメッセージです。
 学校も、いじめがなかったことにしたいというのが本音のはずです。いじめがあれば、学校の評価も下がるでしょうし、自分の評価も下がります。そして、調査の実施、報告書の作成、保護者への説明など、仕事が増えるだけです。
 これでは、いじめを検出するためのモチベーションが、学校も先生方も、決して高くはなりません。
 いじめを報告することに、モチベーションが高まる仕組みを構築する必要があります。

 2011年滋賀県のいわゆる『大津中二いじめ自殺事件』では、報告があったのにもかかわらず、担任はいじめとして認知し、適切に対応していませんでした。学校でのアンケートも、公表しませんでした。
 この事件の後、学校、教育委員会とは独立する形で、市長直轄の部署として「いじめ対策推進室」を新設。さらに、常設の第三者機関として、弁護士や臨床心理士などを常駐させた「大津の子どもをいじめから守る委員会」を設置します。
 学校や担任にだけ任せるのではなく、さまざまな大人が連携し、子どものささいな変化に気づく鋭い観察力を高め、「いじめ」という権利を放棄せざるを得ないような、徹底的なシステムを構築することが必要でしょう。
 本気でいじめをなくそうというのであれば、文科省や教育委員会、学校だけで解決できると考えるべきではありません。ましてや、多種多様ないじめに、先生方だけで対処するのには負担が大きすぎます。
 「子どもは、社会全体で守る」という意識、そして、そのための仕組みを作る必要があります。

 いじめ対策の最も有効な方法は「攻撃の手が伸びないところまで逃げ切る」「親に報告する」という方法です。
 いじめの被害が想定されるような状況を発見した場合には、空間的に距離を置いてしまう、離れてしまう以外にないのです。

 そもそも「学校で行わなければならない学習とは何だろうか?」ということを見つめ直す時期なのかもしれません。
 自宅学習だけでは、子ども同士のコミュニケーションを学べないという指摘がありますが、コミュニケーションを学ぶ方法が「いじめ」だとしたら、あまりにも過酷すぎます。時には死を覚悟してまで学ばなければならないコミュニケーションは「不要」です。
 他の時、場所、方法はいくらでもあります。もっと安全な方法が。倫理的に正しく、人間らしいコミュニケーションの取り方を学ぼうと思ったら、いくらでもあります。

まとめ

  • いじめの対応策を考える上では、いじめは常にある、必ず起こりうるという意識を持つこと。
  • 脳科学的には、人の脳は”いじめ”をするための”本能”が組み込まれている可能性は非常に高い。
  • 「この本能をどうコントロールするのか」という方向で考えることが、矛盾と解消し、現状の限界を超えられる。