【読書】『インターネット・ゲーム依存症』【「現代の阿片」への対処法】
2012年、中国科学院大学武漢物理・数学研究所の雷皓教授らは、インターネット依存の若者十八名とそうでない若者17名を対象に、DTI(拡散テンソル画像)という方法で、脳の画像解析を行った。
変化が起きているとされる領域は
- 意欲や快感、善悪の判断、価値観といったことに関わる報酬系
- 社会性や共感性、情緒に関わる領域
- 注意や記憶、遂行機能などの認知に関わる領域
インターネット・ゲーム依存は、とくに小児科医から症状レベルでの危険性が報告されていた。それが、医療技術の進歩により脳の画像解析が可能になり、脳内レベルでの危険性が報告され始めた。
インターネット・ゲーム依存の深刻さを知る人は「アルコールや薬物への依存と何ら変わらない」「覚醒剤依存と同じ」と断言する。インターネット・ゲーム依存の治療にかかわればかかわるほど、筆写(引用注:岡田尊司さん)自身もその感を強くする。そうしたことが放置されているのも、その依存の恐ろしさと弊害を、まだほとんどの人が理解していないためである。
専門家によっては「二十一世紀の疫病」というが、その言葉は「甘い」らしい。
「現代の阿片」といったほうがいいほどの危険性を秘めている。
- インターネット・ゲーム依存は「現代の阿片」
脳内レベルでの変化が起きている。
その人の価値観すら変えてしまう。 - 予防に勝る対処はない
- 「克服」のカギは「自覚」である
インターネット・ゲーム依存は「現代の阿片」
ドーパミンの大量放出
脳内の画像画像解析が可能になったことにより、様々なことが分かるようになった。
もっとも理解しやすいのがドーパミンだと思われるので、ドーパミンのことだけを取り上げる。
1998年の『ネイチャー』に掲載された論文では、ゲーム開始前と50分間のプレイ後を比べると、ドーパミンの放出が2.0倍に増えていた。同論文に引用されているデータでは、覚醒剤を静脈注射したときで2.3倍である。すなわち、ゲーム50分間のプレイは覚醒剤の静脈注射に匹敵する。
ドーパミンが大量放出されると、ドーパミン受容体は脱感作(一過性に感受性を失い、麻痺してしまうこと)し、さらには「ダウンレギュレーション」と呼ばれる調整の仕組みが働いて、ドーパミン受容体の数自体が減ってしまう。
受容体が減った結果、もっとドーパミンを出さないと同じくらいの快感が得られなくなり、さらに長時間、さらに強い刺激を求めようとする。これが「耐性」という現象で、その行為への依存と表裏一体の関係にある。
耐性が「レベルアップ」するほど、より多くのドーパミンを出す行為をしないといられなくなる。だが、してもしても最初ほど満足感は得られない。
より強力な快感を求めるようになり、さらに依存を深めることになる。
日本の対応の遅れ
かなり長めになるのだが、重要なことなので多め引用する。
ゲームが巨大な産業となり、莫大な利益と多くの雇用を生み出しているという現実の中で、政治家も政府も、本気でこの問題に取り組もうとはしてこなかった。
むしろこの問題に積極的に取り組み、警鐘を鳴らしてたのは、小児科の医師だった。
対応を遅らせてきた日本的ことなかれ主義
治療的な取り組みや国を挙げた予防対策がなかなか進行しない最大の理由は、肺がんの最大の要因と分かっていながら、喫煙が何十年も放置されてきたことと同じ事情がかかわっている。そこには莫大な利権がからみ、タバコメーカーが、強力なロビーイングを行って政治家に圧力をかけたり、研究者を抱き込み、肺がんとの関係が「科学的に証明されていない」という研究結果や宣伝を意図的にばらまいてきた構図とよく似ている。因果関係の証明はたやすいことではないが、証明できないというデータを出すことは、はるかに容易である。
莫大な資金を持つメーカー側と、ごく一握りの良心的な研究者や被害者が争ったところで、勝負になるわけがない。いとも簡単にその主張を封殺し、敗訴に追い込み、直接間接の圧力によって沈黙させてきた。その典型的なやり方の一つが、そうした主張をする研究者を、「頭がおかしい」「信用できない」「人格的に問題がある」といった個人攻撃によって、潰してしまうことだ。
そうすることは、二重の効果を生む。その有害性を主張する研究者が信用されなくなり、本気で周囲が耳を貸さなくなることで、その主張を封じ込めるだけでなく、その事実にうすうす気づいている他の研究者がいても、そうした主張を行うのを躊躇し、控えてしまうという抑止効果を生むことだ。スケープゴートにされ、笑いものにされて潰されていく研究者の悲惨な姿を見せつけられれば、それも当然だ。その問題には関わりたくない、という風潮が生まれ、誰もおおっぴらには真実を言わなくなる。
だが、真実はいつまでも誤魔化せるものではない。時間とともに、危険性の事実は、誰にも否定しがたいものになる。過半数か、もっと多くの人が、そのことに気づいたとき、ようやく空気が変わり始める。タバコの場合、政府が乗り出したのは2002年。最初に報告されてから70年近く、1970年にWHOが最初の喫煙抑制に対する勧告を出してから30年以上。
しかも、政府が主導的に対策を行ったとは到底言えない。
結局、自分では何も決められず、行動もせず、外国からの圧力でようやく動いたということだ。いつものことながら、一国民として情けない。経済効果と利権に眼が眩み、良心的な研究者や被害者の声を封殺する、しかも誹謗中傷をともなう人格攻撃で。
さらには、外国からの圧力がない限り何も変わろうとせず、自らは何も決められないし、なにも実行できない。
なにやら別の事件を思い出してしまったが、嘆いていても何も変わらない。
クールになれ。嘆いている時間はない。何よりなんのメリットもない。
誰も危険性を教えてくれず、よって対策も立てられないのなら、自分で危険性を調べ、自分で対策を立てることだ。
それには、岡田尊司さんをはじめ、多くの良心的な研究者が助けになるだろう。
―――――と、ここまで書いておいてなんだが、実は、行政は動き始めている。
例1:厚生労働省:https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000202961_00004.html
例2:群馬県HP:https://www.pref.gunma.jp/page/19829.html
香川県では条例まで制定された:https://www.pref.kagawa.lg.jp/kosodate/tiikikosodate/wvl90x200716114340.html
行政は動き出している。
繰り返しになるが、岡田尊司さんをはじめ、多くの研究者も訴えている。
それらの情報を自分で集めて、分析し、対策をとることだ。
インターネット・ゲーム依存の症状と弊害
症状
(1)とらわれ(没頭)
「とらわれ」が判断基準に採用されたのは、多くのケースで度を越したとらわれがみられるからだ。
とらわれが、単なる熱中と異なるのは、その持続性である。
依存症レベルのとらわれは、短期間の熱中では終わらない。何か月どころか、何年にもわたって、そうした没頭が続くことも珍しくない。
(2)離脱症状
やらないと、イライラや不安、気分の落ち込み、攻撃的言動などが誘発される。
それが離脱症状だと気づかず、ただ不快な気分や不安から逃れるために、無意識的にゲームを再開してしまう。
(3)耐性
ドーパミンの大量放出が、受容体のダウンレギュレーションを招き、より強くより長い刺激を求めることは、上述した。
(4)コントロール困難
覚せい剤中毒と同じく、ゲームに熱中しているときに大量に放出されるドーパミンによって、食欲や眠気が抑えられてしまう。
食事も睡眠も忘れて熱中するということが起きやすい。
「ほどよく」ができないのも、依存症の特徴である。
(5)他の活動への関心低下
依存症に陥った人では、脳内の報酬系が異常を来し、これまで大切にしていたことがどうでもよくなり、依存の対象にしか興味や意欲が湧かなくなってしまう。
その人の価値観が変質してしまうのである。
報酬系はやってはいけないことにブレーキをかける一方で、やらなければならないことには、やればご褒美が得られることに対してモチベーションを高め、意欲というアクセルを踏む。
報酬系の崩壊は、アクセルもブレーキも壊れた、無気力な一方で、目先の欲望にコントロールが利かない状態を作り出してしまう。
(6)「結果のフィードバック」の消失
たとえ一時的にはまっても、自分の現状を振り返り、こんなことに時間を無駄にしている場合ではないと思い返し、そこでブレーキを掛けることができれば、依存的な使用に陥ることはない。
依存的な使用に陥る人は、過剰使用によって現状の課題が疎かになり、支障が生じているのに、現実の問題に向き合って何とかしようとするよりも、さらに使用が増えてしまうのである。
(7)使用についての欺瞞行為
プレイ時間をごまかす欺瞞行為は依存が本格化している兆候の一つだと言える。
それとともに、犯罪行為やそれに類似した行動がみられるようになるのも、依存の特徴である。
(8)逃避的使用
ゲームの動機として、楽しみのためという前向きな理由よりも、不安や嫌なことから逃れるため、ヒマ潰しのためといった後ろ向きな理由が多いことである。
ヒマ潰しの使用は、害がないように思われがちだが、依存の入り口になりやすいので気をつけたい。
スマホの[設定]から[Digital Wellbeing]から使用時間を見ていただきたい。待ち時間の間に何となく・・・・・というスキマ時間のヒマ潰しのための使用でも、1日何時間も使用している。
(9)現実の課題や家族よりも優先
ゲームやネットに時間を費やした結果、家族や関係者との葛藤が強まる、友人関係が希薄になる、恋人や配偶者との関係もギクシャクしやすくなる、
学校や職場でのパフォーマンスの低下や評価の悪化を招く。子育てや家事も疎かにされる場合がある。
(10)再発と後遺症
いったん縁が切れていても、抜け道ができてしまっているので、またその行動や物質に触れ始めると、あっという間に依存常態に戻ってしまう。
これは「履歴現象」と呼ばれていて、脳には一度強い快感を覚えた行動の履歴が生涯、刻まれてしまうからだ、と考えられている。
つまり、依存症は、再発を繰り返す疾患なのである。
とはいっても、インターネット・スマホ依存を克服した場合、コントロールされた制限の中での利用、というケースが多いそうだ。
依存する理由
インターネット・ゲーム依存症の背景として、大部分のケースは何らかの適応障害から始まっている。
何らかの挫折や疎外状況、ストレス状況によって、現実の生活に居場所を失い、自分の存在価値を味わえなくなる。
大人であれば、飲酒、過食、ギャンブル、買い物等々によって気を紛らわそうとする。子どもでは、手近で許される手段として、ゲームやネット、スマホの使用が増えやすい。
回復を図っていく場合には、依存症ばかりに目を向けるのではなく、適応障害の側面を十分に理解し、そこに手当てを行っていくことが、ひとつのポイントになる。
マズローは人間の根源的欲求を、生理的欲求、安全の欲求、愛と所属の欲求、承認欲求、自己実現の欲求の五つのレベルに分けた。
インターネット・ゲームの世界では、マズローの唱えた基本的欲求が、かなり高度に満たされてしまう。そうであるならば、現実社会で満たされていない人が依存に陥りやすいのは当然だと言える。
ただ、問題はこうして得られる基本的欲求の満足は、どれ一つとして本来の満足ではなく、幻の満足だということだ。
ゲームの世界に心酔した青年が、もっとエキサイティングなゲームを自ら作って商品化したり、プロゲーマーとして活躍することができれば、ゲームは彼にとって自己実現の道具となり得る。ゲームの世界に閉じ込められるのではなく、外の現実において、自己実現を成し遂げることができる。子ども向けのプログラミングの本を読んでみたのだが、すべて日本語でフローチャートで書かれていた。プログラムをやるかやらないかに関わらず、そういった思考法ができれば、現実生活の役に立つ。
日本でeスポーツが盛り上がるかと問われれば疑問があるし、私も経験したことはない。
しかし、ダーツライブでオンライン対戦はしたことがある。自分と同じようなレベルの方と対戦できるので、いい練習になる。ダーツでなくても、将棋や囲碁でもいい練習になるだろう。
「建設的な何かが手に入るかどうか」が分かれ道である。言い方を変えれば、インターネット・ゲームの利用で、現実社会のメリットが手に入るというのであれば、自己実現を成し遂げることができる。幻の満足を求めてはならない。
予防・対策・克服
インターネット依存症の若者の有病率は、世界的に上昇傾向にあるが、国によってかなりバラツキがある。
有病率が高いのは、韓国を筆頭に、中国、日本などの東アジア地域と、アメリカ、イギリス、ノルウェイなどのヨーロッパの一部の地域である。
ドイツやオランダは低い。
インターネットの普及に国としての命運をかけ整備に力を注いだ韓国や、かつてはゲーム産業のメッカでありお家芸としていた日本をはじめ、東アジア地域で問題が深刻になっている。
予防に勝る対処はない
依存症になってから、その危険を教え、依存症の自覚をもたせても。そこから脱出することは容易ではない。
注意力や遂行能力の低下、無気力状態に陥り、学業やキャリアをドロップアウトしてしまってからでは、回復に労力と時間がかかるだけではなく、たとえ依存症を卒業できたとしても、取り返しがつかない損失が生じてしまい。
はるかに容易なのは、治療することよりも予防することなのである。
中国や韓国は、世界のトップシェアを持つにもかかわらず、強力な規制シフトを敷いて、若い世代を守ろうとしている。それが当たり前だろう。
中韓だけではなく、ベトナムやタイも、児童がプレイできる時間などの規制を行っている。
本気でこれからの世代を守ろうという姿勢こそが、いま求められている。
韓国・中国
韓国では、二〇〇九年五月女性家族部が、インターネット依存に対する「宣戦布告」を行い、政府を挙げて防止と治療に取り組み始めた。
二〇一一年から、十六歳未満の児童に対して、深夜零時から朝六時までインターネット・ゲームへのアクセスを規制している。
ゲームを提供する企業側も対策に乗り出した。『ワールド オブ ウォークラフト』では「休息」モードを導入し、続けてプレイするよりも休息を入れることで効率的にレベルアップできる仕組みを採用している。
中国では、二〇〇七年四月から、オンラインゲーム依存防止システムを試験的に導入した。一八歳未満の児童が一日に三時間以上プレイした場合、それまで稼いでいたクレジット(ゲームをする権利)が半分になってしまい、五時間以上だとゼロになってしまう仕組みである。
十八歳未満の児童であるかどうかを把握するため、中国ではオンラインゲームをする場合、本名での登録が義務付けられ、身分を証明する住民登録番号も必要になる。
こうした規制にゲーム会社も協力し、二〇一一年から全国的に実施されている。
また、治療の面でも、積極的な対策に乗り出している。ある意味、国家が力づくでインターネット・ゲーム依存を断たせる、という方式だ。
こうした方法には賛否両論がある。その方法の是非はともかく、全体でみると効果が認められる。やり方は極端すぎるにしても、何の助けもなく時間だけがむなしく空費されていく状況に苛立ち、悲嘆するばかりの日本の親たちからすると、羨ましいと感じる人もいるだろう。
中国の場合、「阿片の蔓延」という歴史的なトラウマを経験している。ゆえに、国家レベルで依存症を社会問題としてとらえている。
「克服」のカギは「自覚」
禁酒、禁煙、ダイエットですら失敗する、ゆえに多く研究や書籍が出されているのだから、難しいことには違いない。自分にできないことは、子どもに求めても無理である。
ドーパミンの放出量を考えれば「難しさは覚醒剤依存と変わらない」という言葉も、言いすぎではないだろう。
依存症に限らず、子どもにも限らず、他者に対する方法の基本姿勢は、イソップ寓話の『北風と太陽』である。
取り上げる、ガミガミ言う、では「北風」である。本人に変えよう気持ちがあったとしても、握りつぶしてしまうだけである。
本人の主体的な意思を尊重し、より良い方向に向かって進むことを、サポートする「太陽」のような姿勢が求められる。
根本的な人間関係の基本である。大人であろうと子どもであろうと、依存症になっていようといまいと、意思を持った一人の人間である。相手の人格を尊重しない姿勢をとってしまっては、良くなるものも悪くなる。
まずは、関係を作り、安心感、信頼関係を取り戻すことだ。
次に、話しやすいところから話題にしつつ、本人の現実の不利益を自覚してもらうことだ。これは小さなことで構わない。
こちらの話を押し付けるのではなく、自覚が芽生えるまで待つことだ。自覚さえ芽生えてしまえば、問題解決に向けて動き出すことができる。
背景にある問題を炙り出し、整理することも重要である。
純粋にゲーム、ネット依存だけというケースは稀だ、大部分は、現実の対人関係や現実の課題での躓きから、逃避するために、依存的使用に陥っているケースが多い。学校でいじめにあっている、就職した会社がブラック企業、では逃避したくもなる。インターネットやゲームを取り上げる前に、いじめとブラック企業を解決する必要がある。
子どもの場合、家族が治療に参加することが非常に大事である。背景にある問題の整理が必要なのは、しばしば親の側であることが多いからだ。
知らず知らず子どもに過剰な期待やプレッシャーをかけていたり、両親の夫婦仲が影響しているようなケースでは、親が自らを振り返り、生き方を変えていくことが、事態の改善のために必要なことも多い。
傷ついた体験や苦しさについて、十分受け止める作業も終わりに近づくと、もともと適応力のある人では、本人から行動を起こそうとし、変わろうと変化し始める。
こうしたケースでは、小さな変化に目を向け、その変化を強化していけば、自然と行動が変わっていく。
こちらから余計なことさえ言わなければ、黙っていても、行動の変化になって表れることが多い(まさに「太陽」)。
逆に、こちらが焦って催促したり、急かすようなことをいうと、ブレーキをかけてしまう。「北風」のようになってしまえば、コートを着込んで離そうとしなくなる。
古川武士さんは『やめる習慣』のなかで「スイッチング」を提唱している。
依存症の要因の一つに、「他にやることがない」からということがある。それならば「他に楽しいこと」があれば、自然と他のことをする。
しかも、依存という問題に関しては、インターネット・ゲームは中立ではない。メーカーはユーザーの依存を引き出すことで利益を得ているのだから、ユーザーが依存するようにしむけている。ゆえに、「他の楽しいこと」という「スイッチング」が非常に重要になる。
まとめ
- インターネット・ゲーム依存は「現代の阿片」
脳内レベルでの変化が起きている。
その人の価値観すら変えてしまう。 - 予防に勝る対処はない
- 「克服」のカギは「自覚」である