【読書】『奇跡のリンゴ』

読書読書,奇跡のリンゴ

 「絶対に不可能」とされた、無農薬でリンゴを作ることに、木村秋則さんは挑戦しました。
 どうして、リンゴは無農薬で作ることが「不可能」だったのか。
 そして「なぜ木村さんが成功したのか?」の科学的なメカニズムは解明されていません。
 でも、木村さんは成功させました。
 その挑戦の苦闘・死闘からの成功。
「そんなことになってまで、挑戦したのか!」
と思うと、木村さんに敬服するばかり。
 僕も僕なりに、苦労はしたけど、まだまだ修行が足りませぬ。 

<注> 本書もそうだったのですが、一般的なイメージとして「農薬」という言葉を使います。
<御礼>アイキャッチ画像はpixabay様から。

ポイント

  • 18世紀のイギリスで品種改良が始まるまで、リンゴは温州みかんほどの大きさで、不味かった。
  • 農薬のおかげで品種改良が進み、リンゴは大きくて、美味しくなった。
  • 現代のリンゴは農薬が必要なのである。
  • 常識に反し、木村さんは無農薬でリンゴを作ることに挑戦。
  • 木村さんが見つけた答えは、「自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ」ということ。
  • その答えに至るまでの努力・苦闘・修行を、僕らも見習いましょう。

現代のリンゴは品種改良のタマモノ

ざっくりリンゴの歴史

 リンゴの原産地は、黒海からカスピ海まで東西に走るコーカサス山脈の山麓一帯という説が有力だ。
 この野生のリンゴは一般的に小さくて酸味や渋みが強く、少なくとも現代人にはとても食べられたものではない。
 ”18世紀のイギリスで品種改良が始まるまで、リンゴは温州みかんほどの大きさ”だったというから、現代のリンゴがいかに巨大化したがうかがいしれよう。
 ということは、ウィリアム・テルが射抜いたリンゴは、小さくて不味かったのです。
(よく射抜いたものだ)
 それが、イギリスで、2つの品種を交雑して新しい品種を作る方法が発見されて、ブームになる。
 19世紀に農薬が発明され、更に加速する。
 イギリスからアメリカにわたり、日本に入ってきた際、「接ぎ木」の技術も入ってくる。
 当時の日本の、江戸の植木屋からすれば、リンゴの接ぎ木など朝飯前のこと。

 リンゴは日本で、さらに美味しく、さらに巨大になったのだ。
 ただし、「品種改良」に必要だったのは「農薬」。言い方を変えれば、「農薬」があったからこそ、「品種改良」して、おいしくする方法も、巨大化する方法も可能だったのだ。
 現代のリンゴがあるのは「農薬」のタマモノなのである。

 リンゴに限らず、穀物・野菜・果物のすべてが、長年かけて品種改良したもの。
 といっても、「品種改良」や「農薬」を悪者扱いするわけではない。
 「64億人の人間の食料を生産する」には、「品種改良」「農薬」が必要だった。
 だから、「品種改良」「農薬」が悪いとは言えないのだが。

 それをおいておくとして、現代のリンゴのそもそもをもちだしたら、絶対に不可能―――――だったのに、木村さんは無農薬でリンゴを作ることを始めたのである。

ちなみに『とうがらしの世界』より

 野生植物は、発芽・開花・登熟を実も種もバラバラのタイミングでできる。
 しかし、それでは人間が管理するには不都合。
 そういうわけで、発芽・開花・登熟のタイミングを一定にして、楽に収穫できるように、人間が「品種改良」を行っていた。
参照:『とうがらしの世界』

ちなみに『世界史を変えた新素材』より

 明治政府は富国強兵のために生糸の生産を行った。そこで、日本の蚕と海外の蚕を掛け合わせると、絹糸の生産量が高くなることを発見。
 その後も引き続き「品種改良」が進み、明治30年代から昭和50年代にかけて、蚕一匹当たりの生糸生産量が10倍近くにも増えた計算になる。
 しかし、その代わり、蚕は、野生で生きていくことができなくなってしまった。幼虫は自力で木の幹につかまり続けることができず、成虫は空を飛ぶこともできなくなった。
 「リンゴもそうだったのかな」と思うと、複雑な気持ちになる。
参照:『世界史を変えた新素材』

無農薬に挑戦

「安全なリンゴを作る」ことと、「安全にリンゴを作る」ことは違う

 「農薬」を使用することを前提に「品種改良」を行ったリンゴを、「無農薬」で作る。
 リンゴを作るには、一年に何回も、何百本もの木に、農薬を散布させる。
 その農薬が皮膚についたら、洗い流さないと火傷する。しかし、一回一回水で洗い流そうとしたら、作業が進まない。
 リンゴ農家にとって、火傷するのは当たり前。
 さらに、木村さんの奥さまは、農薬に弱いようで、寝込むことが多かったそうだ。
 残留農薬の問題があるから、農薬散布にはいろいろなルールがある。そのルールのおかげで、消費者が食べるには、安全なリンゴになっている。
 しかし、「安全な」リンゴを作ることと、「安全に」リンゴを作ることは違うのだ。
 
 そんな中、木村さんは、福岡正信さんの書いた『自然農法』という本に出合う。
 無農薬、どころか無肥料で、リンゴを作ることに挑戦することを決めたのです。

虫の大量発生

 草食の昆虫は、肉食昆虫・動物に食われて減る分を想定して、大量の卵を産む。
 ところが、リンゴの葉が無尽蔵にあると、減るはずのものが減らなくなる。
 食われて減るはずの子が減らないまま、次の子どもを産む。人間の尺度からすれば、あっという間に何百倍にも増える。

 このメカニズムが、中国の歴史において何度も起きた大災害「飛蝗」である。
 生息数が増えると、密度が高まる。エサを探すために、長時間の飛翔に耐えられるように羽と後肢が長く伸び、集団行動を好む凶暴な個体に変異する―――――バッタの群生相である。
 蝗の立場に立てば、「なんでこんなに生き残っちゃったんだろう?」と思って必死になって変化したこと。
 しかし、人間の立場に立てば、迷惑極まりない。といっても、その原因は人間の農業。
 同じ時期に収穫でき、大きくて、おいしい植物がある―――――人間にとって好ましい状況は、虫にとっても好ましい。

 ということで、木村さんが「無農薬」に挑戦すると、害虫が大量発生する。
 これは「菌」にとっても同じことで、「斑点落葉病」が猛威を振るい、リンゴの木はあっという間にはげ山のようになった。

リンゴの木と畑の生態系を調和させる

 ネタバレ注意のため、中身省略。
 「森の木々は農薬など必要としていない。なのに、ドングリはできる」
 これに気が付いた木村さんは、リンゴの木に応用した。

 自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ
 人間にできることは、そんなにたいしたことではないんだよ。みんな木村はよく頑張ったって言うけど、私じゃない。リンゴの木が頑張ったんだよ。
 そう木村さんは言うけれど、それに気が付ける人、思いを馳せることができる人がどれだけいるだろう。
 すくなくとも、木村さんがいなければ、僕も気が付けなかった。
 なぜ農薬も肥料も使わずにりんごが実るのか、その科学的なメカニズムは今なお明らかになっていません。
 それはなぜなのか?
 理由の一つは、方法論であろう。
 学者は一つ一つを細分化し、「ああすればこうなる」という理論や法則を導き出す。
 それに対して―――――木村さんは自身を「百姓」だというが―――――農業はそれら全部をひっくるめて総合的に判断する。
 木村から聞いた話を、すべて書き記すには、とても一冊や二冊の書物では足りない。実を言えば、木村を取材するために、何人かの専門家に話を聞いていた。農業の専門家もいれば、生態学の研究者もいる。その取材で得たどんな最新の知識を披露しても、木村にはかなわなかった。およそリンゴ栽培に関することで、木村の知らないことは何もないのではないかとすら思う。驚くべきことに、そのほとんどすべての知識を、木村は自分の畑での作業から得ていたのだ。
 「害虫」「病気」「農薬」「施肥」・・・・・といって、それもさらに細分化していって、それを一つ一つまとめていって、総合的にといったら、気の遠くなるような話になる。
 しかし、それを、木村さんは一人でやり遂げた。
 その答えに至るまでの努力・苦闘・修行を、僕らも見習いましょう。
 

まとめ

  • 18世紀のイギリスで品種改良が始まるまで、リンゴは温州みかんほどの大きさで、不味かった。
  • 農薬のおかげで品種改良が進み、リンゴは大きくて、美味しくなった。
  • 現代のリンゴは農薬が必要なのである。
  • 常識に反し、木村さんは無農薬でリンゴを作ることに挑戦。
  • 木村さんが見つけた答えは、「自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ」ということ。
  • その答えに至るまでの努力・苦闘・修行を、僕らも見習いましょう。