【読書】『わが友マキアヴェッリ』第一巻②【サヴォナローラで大失敗】
跡継ぎが失敗する
ロレンツォ・イル・マニーフィコの死後、息子ピエロが後を継ぐ―――――
―――――のだが、ピエロは、父ロレンツォさえもやらなかったことを始めてしまった。
メディチ宮殿を政庁にしてしまったのだ。「自由」「民主政」を信じるフィレンツェ市民の疑惑を買ってしまう。
父ロレンツォの子どもたちに対する評価
一人は気狂い、一人は賢く、三人目はお人好し『わが友マキアヴェッリ』第二巻息子ピエロは、次から次へと失敗を犯す。
失敗の連続はサヴォナローラの台頭を許すことになる。
シャルル八世のナポリ征服
キッカケは、ミラノ公国のイル・モーロが政権を奪取しこたとである。
その際、ナポリ王フェランテと対立する。
これが、ナポリ王位を狙っていたフランス王シャルル八世のイタリア軍事侵攻、ナポリ征服への「口実」になる。
一四九四年八月、フランス王シャルル八世、九万の軍を率いてグルノープルを発ち、アルプスを越える―――――
ピエロ・デ・メディチは、有力者たちとも相談せず、フランス王と会い、フィレンツェの降伏と二〇万フィオリーノの提供を申し出る。
フランス王は承知したが、フィレンツェ人が承知しない。
そこに、サヴォナローラの「説教」が鳴り響く。
これこそ神のくだしたもうた剣だ。私の預言は的中した。鞭がふりおろされる。神自らが、あの軍勢をひきいておられる。これこそ、神のくだしたもうた怒りの試練だ!「神のくだしたもうた剣」がフランス王やフランス軍だと誰が決めたのであろう?
人間だから間違えることも失敗することもあるけれど、その鞭はフランス王やフランス軍ではない。
そもそも「預言」がなんなのかわからない。
フランス王シャルル八世には、こう言う。
キリスト者の王よ、おまえは、神が、イタリアの悪をこらしめるためにおまえをつかわされたのだ。地に堕ちた教会を改革するために、神がおまえをつかわされたのだ。「勝手にほざいてろ」
と思ってしまうのだが、ロレンツォ・イル・マニーフィコを失い、その息子ピエロの失政、フランス王のイタリア侵攻―――――
混乱していたフィレンツェの民衆は、サヴォナローラの扇動に引っかかる。
フィレンツェはサボナローラの支配下に入る。
一四九五年二月、ナポリ王国はフランス軍の前に開城―――――
―――――フランス王シャルル八世の企てがうまくいったのはここまで。
三月、法王提唱による反仏大同盟が成立。
神聖ローマ皇帝、スペイン王、ヴェネツィア共和国、フランス軍侵入の「キッカケ」をつくってしまったミラノ公爵イル・モーロまでが加わる。
イタリアで参加しなかったのは、サヴォナローラの支配下にあったフィレンツェ共和国のみ。このことは、のちに高くつく。
対仏大同盟にあわてたシャルルは、ナポリから引き返す。
ローマに立ち寄るも、法王ボルジアは、姿をくらましていてつかまらない。
フィレンツェでサヴォナローラにつかまるも、聞く耳をもつ時間などあるわけがない。
フランス王シャルル八世と同盟軍は、北イタリアで会戦する。
フランス軍は敗れる。
同盟軍の軍紀の乱れのために大敗を免れたが、情勢を変えるほどでもなく、アルプスを越えて逃げ帰る。
「口舌の徒」にはこうしよう
口舌の徒の扱いは、実は簡単なのである。三月二十七日、今日サンタ・クローチェ教会で説教した修道士フランチェスコが、サヴォナローラに対して、“火の試練”をもって挑戦したとのことである。彼によれば、サヴォナローラは日頃、自分の言葉の正しさ、自分が真の預言者であることは、神が奇跡によって示されるであろう、神よ、自分がまちがっているなら、今ここで電光でもって自分を焼きつくしたまえ、と言っていたが、それならいっそ、実証してもらおうではないかというのである。
「じゃあ、やってみてよ」
で充分なのだ。
「うざったいな」と思うと邪魔で、めんどくさいのだが。
フランチェスコの挑戦は当たる。
“火の試練”の当日、ちんたらちんたらして始めようとしない。
民衆を三時間以上も待たせたあげく、五時ごろ雨が降り始める
「奇跡だ! 神が“火の試練を”を望んでおられないという証拠だ」
と叫んだ―――――
われわれは怒った。こちらは何時間も待たされたあげく雨まで浴びたのだから、怒るのはあたりまえである。もう「サヴォナローラ派」も「反サヴォナローラ派」も関係ない。
修道士サヴォナローラの破滅は急激だった。この次の日、サヴォナローラは、弟子二人とともに逮捕された。そして、五月二十三日、サヴォナローラは処刑される。
この時期のマキアヴェッリの手紙が残っている。
日付は一四九八年三月九日だから、“火の試練”の一カ月以上も前、フランチェスコの“挑戦状”の一八日前である。
サヴォナローラの説教は、「冷静に考えをめぐらすことが不得手な人々に対しては効果ある、大げさな脅しではじまる」としているところである。さすがマキアヴェッリ、「眼をあけて生まれてきた男」である。
ロレンツォの時代、フィレンツェは芸術で花開き、外交でも花開く―――――
―――――のだが、死後、あっという間に花が散る。
個人の力量に左右されない体制をつくりあげたヴェネツィアと違い、体制をつくれなかったフィレンツェは個人の力量に頼るしかなかった。
個人の力量に頼った結果、コシモ→ピエロ→ロレンツォと「力量」に恵まれたリーダーに率いられると成功する。
一方で、ロレンツォの息子ピエロ→サヴォナローラと「力量」に恵まれないリーダーに率いられると混乱に陥る。
―――――というのは「後出しじゃんけん」で勝ち誇るために言っているわけではない。
ここに、マキアヴェッリの『ディスコルシ』からの引用を挙げる。
政体には君主政、貴族政、民主政と呼ばれる三通りの種類があって、都市を建設しようとする人は、自分の目的に一番適うように思われるものを、これらの中から選ぶべきだ、ということを指摘しておこう。『ディスコルシ』
このうちのよき政体というのは、上述の三つをいうのであり、有害な政体とは、この三つのよき政体がそれぞれ堕落してできた三つのものである。「自由」「民主政」が好きだったけれど、それを作り上げ維持することは苦手だったフィレンツェ人にとって、コシモの始めた表面民主政・実質君主政のほうが都合がよかったのは、【読書】『わが友マキアヴェッリ』第一巻①で書いた。
したがって悪しき三つのものは、その母体によく似ている。ゆえに、一方から別のものへと型を変えるのは大変簡単である。すなわち君主政は容易に僭主政へ、貴族政は簡単に寡頭政へ、民主政はたちまち衆愚政へと姿を変えてしまうものである。だから、たとえ立法者が、自分が基礎をおいた国家に、三つの政体のうち一つを与えても、その政体を維持できるのはつかの間のことなのである。その理由は、どんな手を打っても、政体が悪い形に急変していくのを、とても食い止められないからだ。それほど政体においては、善と悪とは似かよったものなのである。『ディスコルシ』
どのような政体を作り上げても、それが悪い形に急変していくのを食い止めることはできない。
したがって、「よき政体」を維持し、継続するためには、日常的に注意し、警戒しなければらない。
そのことをサヴォナローラが教えてくれたのだ。
そして、一時的にせよサヴォナローラの支配下に入ってしまったフィレンツェは、大きな代償を払うハメになる。
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