【読書】『皇帝ナポレオン』【人間は英雄として生まれるのではない】
「なんでこんなにエロティックに書いたんだろう?」
Amazonレビューに「半分官能小説か」と書いてあったのに同意。
しかし、今は、考え方を変えた。「人間ナポレオン」を書きたかったからだ、と。
初めから英雄だったわけではない
英雄として生まれついた男の勘で、決行か否かの一点を無意識のうちに突き抜けた、そういう説明もできないことはない。しかし私は、人間は英雄になるのであって、英雄として生まれるのではないと思っている。私に言わせれば、人が英雄になるには、生まれついたという以外の理由が必要なのだった。
ナポレオンは、コルシカ島の生まれであり、コルシカから追放されて食い詰める青年時代を過ごしていました。
そんな貧乏だった一青年が、フランス皇帝にまで登り詰める―――――
ビンボー・ボーイが将来、皇帝になるかもしれない、と予想するのは難しい。
しかし、それよりも、そんなことを成し遂げてしまった、ナポレオンのほうが難しい人生になってしまったのではないだろうか?
王族だの、貴族だの、に生まれると、王位継承法がなんたらかんたらで玉座が転がり込んでくる可能性がある人もいる。そこまでいかなくても、国家の中枢にかかわる可能性がある。
そういう可能性のある生まれなら、小さい頃のどこかで、帝王学を授けらているかもしれない。
しかし、ナポレオンは庶民だったのだ。それも、フランス本土ではなく、ナポレオンが生まれる直前までジェノヴァ領だった、コルシカ島の。
そんな人間が皇帝になったのだから、ヘマもしているし、ドジもやらかしている。しない方がおかしい。
そこだけ抜き取って嘲笑するのどうかと思うが、それに触れておかないと、「人間ナポレオン」は書けない。
「英雄ナポレオン」ではない。「人間ナポレオン」。
戦勝と敗戦
イタリア遠征での勝利。アウステルリッツの勝利。戦勝がナポレオンの評価を高め、それで権力の座を登り詰めたのは事実だ。
しかし、エジプト遠征の失敗。ロシア遠征からの廃位。復帰したのにワーテルローで敗戦。
繰り返すが、ナポレオンはただの人間。英雄として生まれたわけではない。勝つこともあれば、負けることもある。
何も持っていなかった一青年が、皇帝に登り詰めてしまったら。
いろんなものを手に入れてしまったがゆえに、かえってそれにとらわれてしまって、執着してしまう。
会社員で出世しただけで、我を忘れてパワハラとかしてしまう人だっているのに、それが皇帝だなんていったら、執着心が湧いたところで仕方のないことだろう。
「人間」ならね。
ナポレオンに頼り過ぎていたのだ
腐敗し、無策だったバラスの総裁政府が長く持ったとは思われない。それに代わる駒として、当時の誰にフランスをになうことができたのか。タリアンでは力不足だった。シエースでは、理が勝ちすぎる。カンバセレスもフーシェも、保身に汲々とするのみ。タレイランは、常に正統性のある誰かを押し立てて陰に回るタイプだ。 結局、ぴったりとした人間など誰もいないのだ。その中で考えれば、ナポレオンは、一番ましなカードだったのかもしれない。そのために多くの人間がナポレオンに期待した。ナポレオンの実力を超える期待をかけた。
もう若くなく、病気すら抱えている彼に、我々は、なお寄りかかることしか知らない。そして彼がそれに応じられなかったときには激怒し、憎悪して、おそらく見放すのだ。ナポレオンは独裁者だったと結論して。それは、少し前の私の姿勢のそのものだった。
我々は、ナポレオン一人に期待しすぎ、任せすぎたのではないか。彼がやる気満々であったのをいいことに。フランスは、ナポレオンにすべてをになわせすぎたのではないか。革命を終え、人間の平等を知っているはずの我々は、もっと自分で荷を背負い、着実に歩んでいくことを考えるべきだったのではないか。それを忘れ果てていたところに我々の責任があり、それが今日の戦争につながったのではないか。
革命後の混乱期。民衆派・王党派・過激派・穏健派・右派左派・・・・・
政権がコロコロ変わり、昨日の勝者が明日の敗者になる。そして、その判断を間違えたらギロチン送り。
「うかつに主義主張を持ってしまうと生き残れなかったのではないか?」
とも思うが、その結果、人材もいなくなった。
そこに、たまたま運よく、ナポレオンがいて、期待する人がいて、そして、本人もやる気満々。
義務感や責任感で仕事に没頭する「人間ナポレオン」。
一昔前の企業戦士なのではないかと思う。
革命の混乱期のフランスを救う。
そんな仕事が、出来るものであればやりがいのある仕事だし。出来たのであれば充実感もたっぷりだ。
しかし、人間は年を取る。
そして、いつかは力果て、企業戦士ならうつ病に、国の最高権力者なら権力の座から転げ落ちるし、ギロチンとかあった時代なんだから、殺されてしまうことすらある。
富みや権益が、王族や貴族にしかなかったのを民衆に再配分したのが革命なら、政治の義務と責任も、王族や貴族から民衆に背負わせなければならないものなのではないか?
そう考えると、一人の人間(ナポレオン)に何でもやらせすぎだ。
人間が平等で、富や権益も平等なら、一つの国を統治する義務や責任も平等にならなければならない。
「それが民主主義だ!」
と人さまに言えるほど、ぼくも、大した人間ではないけれど。
そんなこんな、を考えていると、「英雄ナポレオン」ではなく「人間ナポレオン」の実像に迫るために、エロティックに書いたのかなぁ、なんて考えたりする。