【読書】『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前[中]』09
三頭政治
遠スペイン属州総督
前61年から前60年まで、カエサルは「遠スペイン州」の属州総督に着任する。
目立った住民反乱のない属州総督で実行したのは、「税収の透明化」だった。
属州税は十分の一と重くはなかったが、徴税担当官のさじ加減によること、属州総督が税の着服をすることが、属州民の負担となっていた。
カエサルは、税収の透明化を図ることで、徴税担当官のさじ加減を排除した。
結果としては減収にはなった。しかし、実質減税になった属州民は喜び、感謝を込めてカエサルに献金をする。
ポンペイウス帰還
オリエント遠征に成功したポンペイウスは、イタリアに帰還した。
元老院の心配は、スッラのように軍を率いてのローマ進軍だったが、ポンペイウスはブリンディシに到着後、軍隊を解散した。50人足らずの軍団長や大隊長のみを率いてローマに向かう。
ポンペイウスの人気はすさまじく、高名な武将を見たさに沿道に人だかりができた。その人たちを率いてのクーデターも可能だった、とキケロが書いている。
ポンペイウスは元老院に次の要求をした。
①凱旋式の挙行許可
②執政官立候補
③旧部下への退職金としての土地支給
④オリエント属州と同盟国の再編成案
元老院は凱旋式の挙行は許可した。しかし、凱旋式を挙行するまでポンペイウスはローマに入れない。そして、執政官立候補はカピトリーノの丘に建つ国家公文書館で本人がしなければならない。つまり、凱旋式をしたければ、執政官にはなれない。
また、旧部下への退職金とオリエント再編成案は、決議を先延ばしにする方法で妨害に出る。
自身の名誉を汚されたばかりか、部下や属州への面目をも丸つぶれにされたことになる。
嫌気の差したポンペイウスは、アルバの別荘に引きこもる。
元老院対策
カエサルも凱旋式の挙行の権利はあったのだが、執政官に立候補するために、凱旋式をあきらめた。凱旋式という「栄誉」よりも、執政官という「権力」を選んだ。
まず、ポンペイウスに手を伸ばす。執政官就任後、ポンペイウスの旧部下への退職金と属州再編成案を実行することで、ポンペイウスの旧部下からの票を集める。
ポンペイウスに対抗意識を燃やし、騎士階級(経済階級)の代表であり、何よりもカエサルの最大の債権者であるクラッススを取り込む。
こうして、三頭政治が始まる。
前59年カエサルは執政官に就任する。
まず、元老院で行われる議事・討議・決議すべてを公開にする。
ポンペイウスのオリエント再編成案は、自派の護民官ヴァティニウスを使い、市民集会で可決する。これは、元老院が否決しても、市民集会で可決されれば、政策化されるホルテンシウス法を利用した。
直訳すれば「ユリウス判例法」、塩野さんの意訳では「ユリウス国家公務員法」では、ローマが統治する全域にわたって、公職者がどう振舞うかを定めた。これは属州総督を務めて蓄財する元老院議員の資金源を断つ目的がある。
また、属州税の透明化で、税の支払い困難な人に高利で貸し付けてぼろ儲けしていた高利貸しを排除する目的がある。認められていたのは年利12%だが、ブルータスは48%もむさぼっていた。
それに、税の透明化で属州民が喜ぶのは、遠スペイン属州総督時代の出来事が立証済みだ。
三月には宿願であった「農地法」を提出する。これまでも提案者が殺されるほどの混乱が起きていたが、今度も既得権益を持つ元老院から猛反発を浴びる。
カエサルは強行採決を決める。市民集会にまわした。ここにはポンペイウスが動員した旧兵たちが集まる。ポンペイウスの旧兵たちから見れば、退職金がわりの農地がかかっているのだ。
市民集会で圧倒的な支持を受け「農地法」は可決される。
執政官の任期終了後に担当する属州も市民集会で変更する。
任地は北伊ガリア、イリリア、南仏ガリアで、期間は5年間。四個軍団を率いる権利と、幕僚の任命権も手にする。
前56年には、カエサル・ポンペイウス・クラッススの三頭で「ルッカ会談」を行う。そこで、ポンペイウスの担当属州を「遠スペイン」「近スペイン」、クラッススの担当属州を「シリア」として、任期は5年、それにあわせてカエサルのガリア属州総督任期も4年間延長された。
問題は、赴任後の元老院対策だった。そうしなければ、ポンペイウスの二の舞になる。スッラの旧部下であるポンペイウスですら排除されたのだ。カエサルは「民衆派」であるとされていた。危険度はポンペイウスどころではない。
カエサルが目を付けたのは、クラウディウス・プルクルスだった。女神ボナの祭祀の夜に、カエサル邸に侵入した男だった。
証言を求められても「知らない」の一点張りで通したカエサルには、恩こそあれど恨みはない。
逆に、アリバイを崩したキケロを恨んでいた。
クラウディウス・プルクルスは平民風にププリウス・クロディウスと名を変え護民官に立候補する。三頭の力を使えば当選は確実だった。
ガリア遠征
ガリア問題は
- 食うに困ったゲルマン人が、ラインを越えて侵入を繰り返す
- ガリア人同士も団結しておらず、統一されていない
- ガリア人同士の対立・闘争が、ゲルマン人の侵入の口実になっている
これを解決するには、ガリア人の対立を解消し、ゲルマン人を撃退し、ラインの東側に封じ込めておけばよい。
カエサルのガリア遠征は、ヴェネティ族の例を挙げれば十分だと思う。
ヴェネティ族は、いったんはカエサルに恭順したが、のちに離反した。小麦を買い上げに来た隊長たちを拘束、周辺の諸部族にも離反をそそのかした。カエサルは、
ローマ人の使用人になるよりも、祖先から受け継いだ自由を持ち続ける方を選んだからであると公平に記す。
周辺諸部族ともども反乱を平定したカエサルは、ヴェネティ族だけは厳罰で臨む。不当な拘束と誓約の破棄が理由だった。ヴェネティ族の長老たちは死刑、住民全員は奴隷として売り払った。
カエサルは、ガリア人の宗教、風俗習慣を劣っているなどとは一言も言わなかった。むしろ、彼らの特有の文化だとして尊重している。
そして、戦いを起こしたことも罪であるとは考えていなかった。
しかし、不当な拘束や誓約の破棄は、人間同士の誓約を破るという罪だった。
ガリア遠征中、ドーヴァー海峡を渡ってイギリスに上陸した。紀元前一世紀のイギリスは、商人も通わない遠隔地だった。しかし、カエサルはブリタニア人のローマ化は可能であったとみたのではないか。とはいっても、カエサルの優先事項はガリアであって、ブリタニアのローマ化はクラウディウスまで待たなければならない。
逆に、ドーバー海峡よりも圧到的に渡りやすいライン川を越えて、ゲルマンの地に侵攻したが、ゲルマン人のローマ化は不可能と見た。
カエサルは、ライン川を境とし、西側のガリア全土をローマ化することで、国家ローマの安全保障を考えていた。
元老院弱体化の露呈
グラックス兄弟以降、数々の改革がなされていたが、ことごとく失敗に終わっていたのは、元老院体制が強力だったからだ。
それから70年たち、元老院体制は弱体化をたどっていた。もし、元老院体制が強力なのであらば、問題が起きても元老院が解決できる。
しかし、現実には、マリウス、スッラ、ポンペイウスといった優秀な人材が出てこなければ、問題は解決できなかった。
優秀な人材を育てることもできず、また、優秀な人材を登用することもできなくなっていた。
カエサルがローマ対策に採用したクロディウスは、カエサルの指示以上のことを始めていた。つまり暴走していたのだが、クロディウスの組織した私警団に対抗する形で、ミロという男が暴力団を組織するのを「元老院派」が容認してしまった。
「民衆派」と「元老院派」に分かれての暴力沙汰が、日常になる。
元老院は首都ローマの治安すら維持できないことを露呈していた。
カエサルは、もはや「反元老院」とも考えなくなっていたのではないか。「新体制樹立」へと目を転じていたのではないか。