【読書】『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前[下]』10
クラッスス敗退
クラッススは焦っていた。
ローマ最大の富裕者ではあったが、ポンペイウスやカエサルのような戦功を挙げていたわけでもない。
それに、担当する属州シリアは、高度な文明と豊かさを誇っていた。
なんとしても、パルティア遠征を成功させたかった。
誰も信じていない
資産は持っていても、軍事的能力を持っていないクラッススを、市民たちは信用していなかった。
それに、死ぬかもしれない戦場に兵士を従えていけるのは、人間的魅力や人望がなければできないことだ。クラッススは人望にも欠けていた。
ローマ兵士は戦争に勝利した司令官に「インペラトール」と呼ぶのが習わしになっていた。しかし、スパルタクスの乱を鎮圧した際に、クラッススに「インペラトール」と呼びかけた兵士はいなかった。
要するに、誰もクラッススを信じていなかったのだが、それを知っていたカエサルもポンペイウスも、手は打っていた。
カエサルは、ガリア戦役継続中だったのに、クラッススの長男プブリウスに、配下の5千騎から1千騎を分け与えて送り出している。
ポンペイウスは旧部下のオクタヴィウスとカシウスを同行させた。
カエサルもポンペイウスも、有能な軍団長をクラッススにつけたのである。
司令官としての能力もない
パルティアは、後継者争いに敗れた王弟ミトリダテスがローマに亡命していた。
また、パルティア国内にも、被支配階級になってしまったペルシア人に、アレクサンダー大王の植民政策で移り住んだギリシア人がいた。彼らを活用すればよかったのだが、そうした形跡はない。
不足した兵力を自腹で募集したが、その資金を取り返そうとし略奪に走る。その結果、集めた兵士も略奪に走り、訓練どころではなくなっていた。
また、軍団長たちの猛反対にもかかわらず、砂漠を横断するという行軍路をとる。
この行軍路はアルメニア軍と合流するには好都合だった。しかし、当のアルメニアは不参戦を伝えてくる。
そうこうしているうちに、道案内をしていたアラブ貴族も姿を消した。
迎撃するスレナス
身分社会のオリエントでは、それが軍事にも反映されていた。貴族階級の重装騎兵が主戦力であった。
弓主体の軽装騎兵が軽視されていたのは、身分差のためだけではない。矢が尽きた弓兵は戦力にならないからだ。
スレナスは、実に簡単な方法でこの問題を解決した。一千頭のラクダに、大量の矢を運ばせる、というものだった。
ひたすら矢を打ちまくり、無くなったらラクダのところまで戻り、矢を補充して、そして、また矢を打ちまくる。
弓も改良して、通常の三倍の射程距離に広げた。
砂漠の真ん中でローマ軍を迎え撃ったスレナスは、ローマ軍の射程外からひたすら矢を打ち続けた。それに耐えきれずに飛び出してきたローマ軍を誘い出し、各個撃破する。
こうして長男プブリウスは戦死。混乱したローマ軍は退却するしかなかった。
カシウスはクラッススを見捨て、500騎を率いて逃げる―――――カシウスの戦線離脱は、ローマ軍にとってもなのだが、カシウス自身にとって致命的になる。
紀元前53年6月12日、スレナスはクラッススの身柄と引き換えに、ローマ兵の自由を約束することを提案する。
話し合いの席上でクラッススは死ぬ。最高司令官が生きたまま捕囚になるという屈辱を阻止したいがために、ローマ軍の誰かが刺したのだと思われている。
合計4万のローマ軍のうち、逃げ延びたのは1万たらず。捕虜となった1万は、パルティア最北東のメルブに送られ、終身兵役を科された。
余談だが、スレナスは王オロデスに、事故を装って殺される。スレナスの名声が王をしのいでしまうのを怖れたからだ。
ついでに、ラクダと軽装騎兵を組み合わせた戦術も忘れられてしまう。
ヴェルチンジェトリックス敗退
ゲルマン侵攻の恐怖が無くなると、今度はローマの覇権下に組み込まれることの不満が頭をもたげてくる。
はじめに動いたのはカルヌテス族だったが、オーヴェルニュ族のヴェルチンジェトリックスが決起、ガリア民族を立ち上がらせる。
ガリア焦土化作戦
連合軍を南仏属州の攻撃に向かわせたが、これは失敗した。
ヴェルチンジェトリックスは戦略を変更する。敵地で孤立するローマ軍を兵糧攻めにする。ガリア中央部の焦土化作戦だった。
ジェルゴヴィアにこもってヴェルチンジェトリックスはローマ軍を迎え撃つ。ここで初めてローマ軍の撃退に成功する。
しかし、撤退したローマ軍の追撃に失敗した。会戦になるとヴェルチンジェトリックスはカエサルの敵ではなかった。
アレシア攻囲戦
ヴェルチンジェトリックスはアレシアにこもる。アレシアにローマ軍を誘い出し、それをガリア連合軍で叩くという作戦だった。
ガリア人の民族意識を高め、反ローマに立たせることには成功した。25万の歩兵と8千の騎兵がアレシアに向かう。
アレシアに到着したカエサルは、ヴェルチンジェトリックスをアレシアに封じ込める包囲陣と、外側から攻めてくる相手に対する防御陣を作る。
結果、5万足らずのローマ軍で、内側8万と外側26万のガリア連合軍を撃退した。
ヴェルチンジェトリックスは、自らの身柄と引き換えに他の人々の助命を請い降伏する。カエサルもこれを受ける。
ガリア制覇
ヘドゥイ、オーヴェルニュ、リンゴネス、セクアニ族は恭順の使節をカエサルに送ってきた。カエサルは再度の同盟誓約を結ぶ。
しかし、アレシア攻防戦に参加し、抵抗をやめない中程度の部族に対しては、強圧で臨む。
ガリアの全部族に、内政の自治を認め、宗教を含む社会制度を温存したまま、ローマの支配に組み込む。
ガリア内の間接税を2.5%(ローマ国内では5%)、直接税を4千万セステルティウスとする。
ローマは「プブリカヌス」と呼ばれる請負人に徴税を任せてきた。しかし、このシステムだと「プブリカヌス」のさじ加減に左右されやすい。
カエサルはスペイン属州総督時代に気がついていた。そこで「プブリカヌス」のさじ加減を排除した。また、あえて税額を低く抑えることで納税者たちの負担も軽くした。
カエサルのガリア編成は成功だった。
軍事的に押さえつけたわけではない。
また、この後、カエサルとポンペイウスの内戦が始まるのだが、反ローマに立ったガリア民族はいない。それどころか、マルセイユ攻撃中のカエサルに攻城資材から兵糧まで提供する。
ガリアは、ローマの覇権下に組み込まれた。
「元老院最終勧告」発動
ポンペイウス
そもそも、ポンペイウスは武将であって、政治的な人間ではなかった。
凱旋式、執政官への立候補、旧部下への農地支給、オリエントの再編成案を元老院に否定され、カエサルと組んだに過ぎない。
しかし、三頭政治で利を得たのはカエサルで、ポンペイウスはそれに手を貸しすぎたのではないか、と思っていた。
元老院からすれば、ハッキリと反元老院派であるカエサルより、ポンペイウスのほうが与しやすい。それにクラッススはもういない。ポンペイウスに政治的野心はない。
元老院はポンペイウスに接近する。ポンペイウスは「元老院派」に組み込まれた。
クリオ
法的にはカエサルを訴えることができる。
本来、「専守防衛」が任務である総督でありながら、ガリアどころか、ライン川を越え、ドーヴァー海峡を越えて、攻撃に出ている。
自己負担で軍を編成している。
ガリアで家門名「ユリウス」を与えまくることで、ローマ特有の「クリエンテス」網を広げている。
最大の債務者クラッススが死んでいるというのに、いつの間にか大金を所持していたのだが、その出所が不明。
ガイウス・スクリボニウス・クリオにカエサルの手が伸びる。
護民官であったクリオは、拒否権を持っている。
元老院は、カエサルの後任人事を早く決定することで、カエサルから軍事力を奪おうとする。しかし、クリオはガリア属州総督の後任人事を先送りする。
元老院の議事に、法律論争を展開する。法律論争でも元老院の議決でも、負けそうになると、拒否権を発動してかわす。それが、元老院の日常になっていた。
前50年12月2日、執政官マルケルスの「カエサルの十個軍団がアルプスを越え、ローマに向かって南下中という報告を得た」という報告で、元老院は硬化した。
そして、前49年1月7日「元老院最終勧告」が提出される。カエサルは国家の敵とみなされる。
内戦を回避したかったカエサル
マリウスは元老院議員を50人、騎士階級1000人を殺している。その中にはカエサルの伯父兄弟も含まれている。カエサルから見れば、伯父が別の伯父を殺したことになる。
マリウスの「民衆派」に武力をもってのぞんだスッラも「処罰者名簿」を作成し、裁判もなく殺されたり、殺されなくても資産を没収された。
内戦によって生じる、恨み、怨念、憎悪が、共同体にとってどれほど不利益なことなことであるか。カエサルは分かっていたのである。だからこそ、内戦回避に努めた。元老院対策はしたが、妥協案も出している。
しかし、「元老院最終勧告」はすでに出された。ガリア制覇などなかったかのように、カエサルの名誉は汚されている。
しかも、このままではカエサルの思い描くローマの国体改造、新世界の樹立は夢に終わる。
前49年1月12日、カエサルはルビコンを超える。