【読書】『ローマ人の物語 パクス・ロマーナ[上]』14

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 天才の跡を継いだ天才ではない人物が、どうやって、天才が到達できなかった目標に達せたのか。

 自分自身に才能はなくても、才能のある者の意見を取り入れるのも立派な才能であることは、私も塩野さんに同意する。
 マキアヴェッリは『君主論』の中で述べている。
人間の頭脳にはそもそも三種類ある。第一は自らの力で理解するもの、第二は他人の意図するところを察知するもの、第三は自らの力で理解せず、また他人の意図を理解しないものである。第一のものは非常に秀れ、第二のものも優秀であり、第三のものは無能である。『君主論』第22章より

ムリはしない

 しかし、カエサルから後継者に指名されたアウグストゥスは、目標とするところは同じでもそれに達する手段が違った。なぜか。
 第一に、何ごともにも慎重な彼本来の性格。
 第二は、殺されでもすれば大事業も中絶を余儀なくされるという、カエサル暗殺が与えた教訓。
 第三、演説であれ著作であれ、カエサルに比肩しうる説得力は自分にはないという自覚。

 スッラも、カエサルも、アウグストゥスも、最高権力者となるが、反対者の証拠書類の活用となると、三者三様だった。
 スッラはそれをもとに、徹底的に粛清した。カエサルは、目も通さず焼き捨てた。
 アウグストゥスは、焼き捨てたという噂は流した。しかし、それを実際に見た人はいない。旧アントニウス派の人々の秘かな怖れを、そのまま放置した。

 前27年1月13日共和政体への復帰を宣言する。軍事、政治、外交の決定権すべてを元老院と市民の手に戻すと宣言した。
 元老院主導のローマ共和政を信じている人々からは、熱狂を持って迎えられるが、アウグストゥスは巧妙だった。
 まず、執政官は辞任していない。
 また「インペラトール」という、ローマでは兵士たちが戦争に勝利した将軍の敬称の常時使用権を持ち続けた。これが、のちに「皇帝」を意味するようになるのだが。
 「プリンチェプス」(第一人者)という、国家の市民中の第一人者という称号も、持ち続ける。アウグストゥスにとって巧妙な隠れ蓑になる。
 3日後の16日には「アウグストゥス」という尊称を元老院から獲得する。
 提案者はアジニウス・ポリオ。カエサルのもとで戦ったが、アントニウス派に回っていた。しかし、クレオパトラの影響が強くなると、アントニウスを見捨てた。以降は元老院議員となったが、他の公職はすべて辞退していた。自派の者でもない、かといって共和政主義者でもない、絶妙な人選だった。
 「アウグストゥス」という名称も、神聖で崇敬せれてしかるべきもの、という権力的なものではない。
 前23年には、連続して就任してきた執政官の地位から辞任し、共和政時代に戻って毎年、執政官を選出すると宣言する。共和政体を信じる人々は感激してしまった結果、アウグストゥスの申し出に深く考えもせず賛成してしまった。それは、異議がなければ更新される一年任期の護民官特権であった。
 まず、最高権力者に異議を唱えれる人はいない。ゆえに、自動的に更新されるから、終身と同義語である。そして、護民官特権には「拒否権」があった。「拒否権」を持つのは、執政官と護民官のみであった。

 研究者の一人は

「合法であることに徹したうえでの、アウグストゥスの卓越した手腕」
といっている。
 「カエサル」「プリンチェプス(第一人者)」「アウグストゥス」「インペラトール」「護民官特権」という、一つ一つなら共和政でも合法なのだが、すべてまとめると共和政では非合法な帝政になる。

中央政府の行政改革

 スッラによって600人に増員されていた元老院は、カエサルによって900人に増員され、アントニウスがさらに増やしてしまったため1000人を超えていた。アウグストゥスは600人に削減する。
 どんなに頑迷な保守派でも1000人は多すぎると認めていた。また、スッラ時代の定員に戻すのだから、共和政主義者には元老院体制重視に見えてしまった。

 内閣を創設する。アウグストゥスを中心に、執政官2人、法務官、会計検査官、財務官、按察官から一人ずつ、元老院議員の中から15人加わって構成される。内閣の決定は「元老院勧告」と同価値を持つことも決められる。
 一見、民主的で、アウグストゥスの独断ではなく合議で決定するように見える。
 しかし、実際には、アウグストゥスは「拒否権」を持っている。15人の元老院議員が別の案を可決したとしても、アウグストゥスは「拒否権」で潰せるのだ。よって、「内閣」の決定は、アウグストゥスの意のままになる。
 さらに、元老院の召集は月初めの一日と、15日の2回とする、年に2か月の休会期間を設ける。対して、内閣は無休だった。
 政策決定機関としての重要度は、内閣に移されていく。

属州統治の確立

 ローマ帝国は、「本国イタリア」「元老院属州」「皇帝属州」「エジプト」の四種に分けれらる。
 軍団駐屯の必要のない属州を「元老院属州」にする。元老院議員から見れば、問題のない属州で総督を経験できるのだから、大歓迎だった。
 対して「皇帝属州」は防衛が主な任務になる。軍団の指揮も任さられる武官で任期はアウグストゥスが決める。
 こうして軍事権は、元老院から剥奪され、アウグストゥスの手中に収まる。

 「プブリカヌス」と呼ばれた入札制度の徴税請負人を廃止し、「皇帝財務官」を創設した。
 まず、徴税の公正化が計れる。属州総督が任期中に私腹を肥やすのが問題になっていたのだが、これを解決した。ということは、元老院議員の不正蓄財の機会を奪った。
 次に、帝国統治に沿って、税金を配分できるようになった。元老院属州は軍事上の問題は少ないが、経済が発展しているため税収が多い。一方、皇帝属州は軍事上の経費が掛かるうえに、経済的にも発展しておらず、税収が少ない。ゆえに、元老院属州からの税収を、皇帝属州の経費に回すことができた。
 属州全体の街道整備も進めたが、これは軍団兵が担当した。
 軍事目的の街道整備は、民間の経済振興にもつながっていく。物の交流が盛んになれば、人の交流も盛んになる。人の交流が盛んになれば、心の交流も生まれる。ローマ文明を主体とした、一大文明圏の形成が始まる。
 スペインの植民都市では、退役兵が現地の女性と結婚して入植する。平和な形での民族融合が起こる。

パルティア

 ローマの東の問題はパルティアに尽きる。それに、負けたままでは放置できなかった。
 クラッスス、アントニウスのパルティア遠征二連敗で、アルメニア王がパルティアに接近した。アルメニアに行ったローマ商人が冷遇され、殺されるものまで出てくる。
 アウグストゥスは、ティベリウスに四個軍団を与えアルメニアを攻撃させる。驚いたアルメニアは王を殺し、講和を請う。

 口実は常に敵が作ってくれる。そして、その好機の活用ならアウグストゥスは天才だった。
 パルティア王フラテス四世の高齢化により、後継者争いが勃発する。
 王弟ティリダテスは、王位継承者の王子をローマに送りつける。敵国ローマなら殺してくれるだろうと思ったが、アウグストゥスは温存する。
 そうこうしているうちに、老王の側近たちが反撃する。今度はティリダテスが属州シリアに逃げ込む。これも温存する。使えるカードは2枚になる。
 パルティアは講和を申し入れてくる。パルティアの条件は二人の人質の返還、ローマは二度にわたった敗戦時の銀鷲旗とクラッスス敗戦時の1万人のローマ兵の返還だった。
 王子の方は引き渡したが、ティリダスの方は引き渡さなかった。祖国帰還後、王子は王位に就いたが、ローマとの講和を放置する。
 そこに、ローマのアルメニア遠征が起きる。北の国境を接するアルメニアがローマにつけば、パルティアは講和せざるを得なくなる。
 銀鷲旗はすべて返還された。しかし、ローマ兵の返還はならなかった。33年の時間は、全員の命を奪っていた。その代わり、ローマ将兵たちの甲冑と武具が返還された。
 パルティア問題は、一兵も損なうことなく、外交で解決された。