【読書】『ローマ人の物語 パクス・ロマーナ[下]』16
「血の継続」に「妄執」
アウグストゥスは、政治のこととなると、すぐれた現状認識能力とバランス感覚を持っている。
しかし、なぜか、血の継続のことになると、それらが失われる。
「持続する意志」は立派な才能なのだが、血の継続に関しては、裏目に出る。執着から、執念に変わり、妄執の域にたどり着く。
男孫たち
前5年、アウグストゥスは、15歳の初孫ガイウス・カエサルを「予定執政官」に就任させるように元老院に要請する。
何の実績もない15歳を、前例のない「予定執政官」なるものに就任させては、実力も関係のない世襲制への決定的な移行だった。
また、口では共和政を唱えても、実質的に帝政に移行していくのが手口だった。しかし、これでは疑惑を強めるだけである。
とはいっても、中継ぎに予定していたティベリウスに逃げられてしまったからには、ガイウスと弟ルキウスの立場を確実なものにしておく必要はあった。
19歳になったガイウスをオリエントに送る。東方の二大問題、ユダヤとアルメニアが怪しくなってきたからだ。
何の実績もない19歳には荷が重すぎる。マルクス・ロリウスを顧問につける。ロリウスはこの難しい仕事をやり遂げる。
問題が生じたのは紀元3年だった。ロリウスがパルティアに買収された、というパルティア側の陰謀を、ガイウスは疑惑すら持たなかった。さらに悪かったのは、アウグストゥスの態度も明快ではなかった。
ロリウスは、裁きの場に引き出されるよりも、自死を選ぶ。
オリエント行きで祝典招宴づけになっていたあげく、お目付け役のロリウスの死で、ガイウスの行動は支離滅裂になる。率いる兵たちのコントロールもできない状態でアルメニアに出兵する。
しかし、ガイウスの高慢な振る舞いに、住民が激怒する。アルメニアのローマへの信頼は地に堕ち、パルティア側に回る。
アルメニアから逃げ出したガイウスは、紀元4年にリチアで病死する。
それに先立つ、紀元2年には弟ルキウスが、マルセイユで病死していた。
紀元4年、唯一残った直系の男孫アグリッパ・ボトゥムスを養子に迎えるが、狂暴な振る舞いは誰にも手を付けられなくなる。紀元7年、追放を決める。
娘と孫娘ユリア
アウグストゥスの一人娘ユリアは、初めは甥のマルケルスに、次いでアグリッパに、最後にティベリウスに嫁がされていた。アウグストゥスの男孫を産むために、たらいまわしにされた格好になる。
マルケルスとの結婚生活は2年で終わった。年齢差はあったが、アグリッパとの結婚生活は幸せなもので、三男二女に恵まれる。ティベリウスは、離婚させられた妻が忘れられず、仲も冷え切り、しかも、ティベリウス一人でロードス島に隠遁する。
ユリアは、子どもたちの教育に専念していれば違った結果になっていただろうが、自己コントロールの能力が欠如していた。いつ頃はじまったかは不明だが、異性関係に放縦になる。
不倫を公的な犯罪にしてしまったアウグストゥスにとって、娘の問題は放置できない。公的な犯罪にはしなかったが、家父長権を行使し、ユリアを追放、流刑に処す。
不倫相手とされた男たちは、国法で処理された。一人を除く全員が追放刑、ユルス・アントニウスだけは死刑を宣告されたが、逮捕を待たずに自殺した。
紀元8年、孫娘ユリアも追放するしかなくなっていた。放縦な異性関係に走ってしまったためだが、どれほどであったのか、どこに流されたのかは不明。
アウグストゥスは、遺言で、娘と孫娘を「霊廟」に葬ることも禁じた。
血の継続にこだわり、誰よりも家族を大切にしてきたアウグストゥスだったが、当の肉親から裏切られてしまったことになる。
ティベリウス復帰
紀元2年、ティベリウスは先妻との間に生まれた一人息子の成年式に立ち会うためにローマに戻る許可をアウグストゥスに求める。アウグストゥスは、一私人の立場を厳守すること、元老院への出入り禁止を条件に、帰国許可を出す。
ガイウスとルキウスに先立たれたしまったアウグストゥスは、紀元4年、ティベリウスを養子に迎える。どのような話し合いがなされたかは分かっていない。
ただし、血の継続にこだわったアウグストゥスは、ティベリウスの弟ドゥルーススの遺児ゲルマニクスを養子に迎えさせる。
とはいえ、ティベリウスを後継者にすることに、元老院も賛成したが、一般市民も賛成だった。
まず、軍事面での才能。軍事的に問題のない「元老院属州」の総督しかやらなかった元老院議員に、軍事の自信はなくなっていた。ティベリウスの軍事面での才能は、元老院議員も認めるところだ。加えて、現場の将兵の歓喜は、最高の証明だった。
もう一つの理由は、ティベリウスはユリアの連れ子であり、父親は名門クラディウス一門に属していた。貴族階級に属すクラウディウス一門の男なら、自分たちの側だと元老院議員は思っていた。
しかし、ティベリウスは頑迷な階級主義者ではなかった。血縁にしか注目しない人たちに、ティベリウスの考えは見通せない。
ティベリウスの思いを見通したのは、遅まきながら、アウグストゥスだった。
パンノニア・ダルマツィア反乱
蛮族はローマ化のメリットが分からない
ローマのインフラ整備は、ある程度の文明をもっていなければ、その恩恵を理解できない。
経済活性化の恩恵を、ギリシア人やオリエントの民は享受する。しかし、ゲルマン民族やパンノニア・ダルマツィアの民族は理解できなかった。
こうした人々が反乱を起こすのは、軍事制覇直後ではなく、軍事的敗北を忘れたころだった。
マルコマンニ族のマロボドゥヌス
ゲルマン民族の出身だが、少年時代ローマで人質生活をしていたマルコマンニ族のマロボドゥヌスは、ローマの力を理解していた。人質生活といっても、逃亡ができないだけで、実質ホームステイだったのだけれども。
ゲルマンの地から追われボヘミアに移住するが、7万の歩兵と4千の騎兵を、ローマ軍団式に組織していた。
それでも、マロボドゥヌスが決起しなかったのはローマの力を怖れたからで、生涯、ローマと戦わない方針を貫く。
最高司令官ティベリウス
パンノニア・ダルマツィアが反ローマで決起する。
アドリア海の対岸の反乱に重大な危険を察知したアウグストゥスは、ティベリウスを派遣する。
パンノニア・ダルマツィアの反乱軍はマルコマンニ族のマロボドゥヌスに共闘を持ちかけるが、マロボドゥヌスは拒否、逆に、ティベリウスとの友好関係を、何ひとつ代償を求めないで受け入れる。
トラキア王は騎兵を率いてローマ軍に参戦した。
これでティベリウスは短期決戦と長期消耗戦を組み合わせて、反乱軍を追い込むことに成功する。
紀元9年の夏にパンノニアが、冬にはダルマツィアが降伏する。
反乱勃発直後は、ローマの心胆を寒からしめた反乱だったが、終わってみればドナウ河に至る地方の覇権を確実にする形で終わった。
ティベリウスは、元老院議員が認める以上に、現場の将兵にとって最高の司令官であることが証明される。
ティベリウスは現場の将兵を大切にした。最高司令官用の医師、馬車、輿、入浴設備、料理人まで負傷兵に提供した。パテルコルスは、欠けているのは、わが家とわが家族のみだ、と証言している。
軍規に反した兵士でも、その危害が他の兵士に害が及ばなければ、罰よりも警告を選んだ。最高司令官が気づいていながら、処罰しないことで、部下たちが二度と過ちを繰り返さない方を選ぶ。
人の上に立つものはどうあるべきかを、ティベリウスは教えてくれる。
テウトブルクの惨劇
ガリアを征服したカエサルは、現地の有力者を温存したうえで、彼らに統治まで任せた。24年の時を経て、ようやく他の属州と同様の統治を始める。24年もたてば、子どもの世代になっている。それだけ時間が経てば、ローマ式の統治に変えることに抵抗はなかった。
ゲルマニアに送られていたヴァルスは、紀元6年のティベリウス制覇の翌年から、他の属州と同様に統治を行う。
ヴァルスは、アフリカ、シリアという文明度の高い属州しか経験したことはない。蛮族を統治した経験はなかった。
独断の可能性は低い。アウグストゥスの指示であったか、少なくとも承認を得ていた可能性が高い。
となると、ヴァルスもだが、アウグストゥスも、ガリア成功の要因を理解していなかったことになる。
ゲルマン諸部族の指導者は、アウグストゥス方式の属州統治に不満を抱え、怒りを胸中に持つ。しかも、想いをまとめる指導者まで登場する。
ケルスキ族の長の子アルミニウスはローマ軍団の補助兵になり、昇進を重ねる。ローマ市民権を手に入れ、騎士階級まで昇格を果たす。
アルミニウスが陰で工作をしているという他の部族長たちからの警告を無視するほど、ヴァルスはアルミニウスを信用してしまった。
カッティ族に不穏な動きがあるというアルミニウスの言葉を信じ、テウトブルクの森に誘い込まれる。
そこに、アルミニウス率いるゲルマン兵が待ち構えていた。
ヴァルスと指揮官たちは自殺する。降伏したローマ兵も、補助部隊の兵も全員殺された。
それをもってアルミニウスはゲルマンの共闘を求めるが、応じたのは少数だった。
マルコマンニ族のマロボドゥヌスには、ヴァルスの生首を送りつけて共闘を持ちかける。しかし、マロボドゥヌスはティベリウスとの協約を守る。ヴァルスの首はアウグストゥスの許に届けられる。
アルミニウスに他者を率いる何かが足りなかったらしい。マロボドゥヌスに共闘を拒否されただけではすまず、実の弟すらローマ側に走ってしまう。
死
紀元14年8月19日、ノーラで息を引き取る。愛する妻リヴィアの腕の中だった。
後継者への引継ぎはすべて完了していた。遺言は、帝国全体の細部まで詳細に書き残されていた。自分の解放奴隷と奴隷の誰と誰に問えばよいかまで記載さえれていた。大帝国の運営はどんぶり勘定ではできないのだ―――――
と書いていたら、『帳簿の世界史』を思い出す。
人間の歴史は、果たして進歩の歴史だったのだろうか、と悩まさせられずにはいられない。
いや、私たちは、アウグストゥスから学ぶべきなのだ。自己制御の能力と持続する意志を。