【読書】『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち[二]』18

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一私人としてならば理解できるし友人としてならば愉快だろうが、統治の責任者としてはどうしても、という感じだ。と言って、私人の心を忘れたのでは公人としての責務も十全に果たせなくなる。となればここはやはりバランスの問題で、賢帝と悪帝の境い目は公人と私人のバランスをいかにうまくとるかにかかっていたのかもしれない。

ティベリウス後期

 ティベリウスが「偽善」を苦手としていたことは、カプリ隠遁が、最も顕著に表している。険悪な雰囲気の家庭に、国事を担当しようとしない元老院。放り出したくなる気持ちも、よく分かる。
 それに、ティベリウスのシステムは、カプリ島からの帝国統治を可能にしていた。
 しかし、元老院とローマ市民が、どう思ったかは別問題である。

セイアヌス台頭

 ルキウス・エリウス・セイアヌスは、ティベリウスに抜擢されて近衛軍団長官に登りつめる。
 近衛長官セイアヌスは「国家反逆罪法」と「姦通罪法」を駆使して反ティベリウス・アグリッピーナ派の排除に成功する。
 紀元二九年アグリッピーナはパンダタリア島(現ヴェントーテネ)に、長男ネロ・カエサルはポンティーア島(現ポンツァ)に流罪される。次男ドゥルースス・カエサルは幽閉される。

セイアヌス破滅

 紀元三一年、セイアヌスはティベリウスと同時に執政官になる。
 セイアヌスは得意絶頂になる。ティベリウスは、自分の後継者の権威を高めるために、同僚執政官と同時に就任したからである。
 しかし、これはティベリウスの演出だった。
 セイアヌスは、近スペインの属州総督の不正を告発した。しかし、属州総督を任期中に告発することは禁じられている。不正を告発するのなら、任期終了後である。セイアヌスに反撃してきたのは、当の皇帝ティベリウス自身だった。
 さらに、一年満期の執政官をティベリウスは任期途中で辞任する。セイアヌスも辞任するしかない。
 焦ったセイアヌスの動きは、ティベリウスに報告されていた。セイアヌスは、具体的な証拠も列記され「国家反逆罪法」で告訴され、死刑と即時執行を提訴される。セイアヌスに反感を持つ議員の多かった元老院は可決し、即時実行する。
 民衆も歓呼の声を上げる。セイアヌスの立像は砕かれ、遺体は切り刻まれてテヴェレ河に投げ捨てられる。
 近衛軍団も誰一人動かなかった。

国家反逆罪法

 長男をはじめとするセイアヌス派の何人かは共謀したとされ処刑される。問題は、息子の処刑に絶望したセイアヌスの前妻アピカータの手紙だった。
 手紙には、ティベリウスの実子ドゥルーススの死因が書かれていた。ドゥルーススの妻リヴィア(ゲルマニクスの妹)はセイアヌスと愛人関係にあったこと。二人の恋の成就のためにドゥルーススを毒殺したこと。セイアヌスは、ドゥルーススから向けられる敵意を危険に感じていたこと。

 ティベリウスの心は折れた。ティベリウスの怒りは、セイアヌス一家に留まらず、セイアヌス派にも向けられていた。恐怖にかられた元老院議員は、我先にと同僚を国家反逆罪法で告発する。以前なら、穏当な刑施行を求め、徹底した証拠主義で臨んだティベリウスだが、介入したりしなかったりになる。
 さすがに、食卓の話題まで「国家反逆罪法」の適用させようとした元老院議員には苦言を呈した。しかし、そのようなことにまで「国家反逆罪法」を持ち出すほど、元老院議員の質は低下していた。

 しかし、帝国統治は投げなかった。
 食糧不足の噂で小麦の値段が暴騰すれば、小麦の在庫量を明示して鎮静化させる。金融危機にも公的支援を行う。ローマで起きた大火にも、義援金を送り、対策委員会を立ち上げている。
 ローマの東方問題といえばパルティアとユダヤ対策なのだが、この対処も忘れていなかった。

 37年3月16日、ティベリウス死去。
 カエサルが青写真を描き、アウグストゥスが構築した帝国を、ティベリウスは盤石なものにして、後世に残す。

カリグラ

 のちに「パンとサーカス」と酷評されることになるカリグラの治世だが、「パン」は貧民救済の小麦法のことであるから、パンで酷評するのはいかがなものであろうか。
 したがって問題は「サーカス」の方に絞られる。カリグラはローマ市民の期待に、応えすぎてしまった。ゆえに、財政が破綻する。
 これを現代では「ポピュリズム」という。

ポピュリズム

 カリグラは決して愚か者ではなかった。ティベリウスの治世を見てきただけに、元老院とローマ市民が何を求めているのか理解していた。
 もはや「国家反逆罪法」を利用しての同士討ちになっていた元老院だが、カリグラはこれはやめさせた。また、元老院の会議に出席する、と発表したところまでは良かったのだが。

 カリグラは、人気のなかった売上税を廃止してしまった。とはいっても、他に財源があったわけではない。ティベリウスは、軍団兵退職金の財源確保のために、売上税廃止に耳を貸さなかったのだ。
 ティベリウスが嫌い抜いていた剣闘士試合を、カリグラは再開する。また、ローマ市民に人気の戦車競走も開催した。
 ティベリウスは新規の公共建築を始めなかったが、カリグラは次から次へと手を付ける。
 カリグラの治世のスタートは、市民の歓呼で迎えられる。

財政破綻

 税収を減らし支出を拡大すればどうなるのかは、明らかだ。ティベリウスの残した2億7千万セステルティウスの資産は、三年と持たなかった。
 皇帝一家の家具調度類や宝飾品から使用人の奴隷まで、競売にかける。しかし、このようなことで国家財政が再建できるはずがない。
 新たにローマ市民権を取得できるのは、市民権を持つ者の息子のみ、と決める。ローマ市民権を持つ者は属州税は払わなくてよい。ゆえに、持たせなければ属州税を徴収できる。当然、抗議の声が上がるが、カリグラは受けつけない。
 売上税は復活させなかったが、新税は課した。市内で売られる燃料、売春業者や娼婦、荷運び人夫にも課税する。燃料税に対する抗議の声は、近衛軍団を出動させて抑え込んだ。
 ローマ人は遺産の相続に、日頃敬意を払う人を指名する例が多かった。カリグラは、相続人に自分の名を加えることを強制した。
 マキアヴェッリは「気前が良いと言われるよりもケチと言われたほうがいい」といっている。気前よく大盤振る舞いすると財源不足に陥り、取り返そうとして重税をかけると、支持を失うからだ。カリグラは、この典型的な失敗例といえよう。

国家反逆罪法・再び

 結局、手っ取り早い金策に手を付けることになる。「国家反逆罪法」を適用し、死罪とした元老院議員から資産を奪う。
 ティベリウス末期の恐怖政治の再開である。カリグラと元老院の対立は、決定的になる。

ローマ人とユダヤ人

同化を拒否するユダヤ人

 ローマ人は支配者として地中海世界に君臨したのではない。「敗者同化路線」で多民族を受け入れた。「運命共同体」として地中海正解の平和を確立したのだ。
 同化を拒否したのはユダヤ人の方だった。ユダヤ人は一神教であり、他の神を受け入れることはできない。
 アウグストゥスによってユダヤの特殊性を理解していた。
 ユダヤの祭司階級が司法を担当することも認めた。モーゼの「十戒」は、殺人、姦淫、盗み、偽証、家宅侵入を禁じている。それはローマ法にかぎらずとも、禁止されていることだから、不都合はない。
 ただし、判決が「死刑」となった場合は、ユダヤ在住の長官が許可を与えない限り、執行は不可とした。

ティベリウスの対処

 アウグストゥスの方針を引き継いだティベリウスは、ユダヤ民族の監視を怠らなかった。
 ティベリウスは、アウグストゥスのユダヤ民族対策を、イェルサレムに住む人たちだけに留まらず、帝国全体のユダヤ人に拡大した。
 ユダヤ人の信教も、移住も、特有の習慣も認めた。しかし、反ローマ的行動や社会不安の原因になる行動は、絶対に許さなかった。逆の見方をすれば、反ローマ的行動をとらず、社会不安の要因にならなければ、ユダヤ教の信仰の自由が保障されていたのである。
 ティベリウスのユダヤ民族対策は、穏健なユダヤ民族からは感謝されていた。

カリグラの場合

 困ったことになったのは、カリグラが自身の神格化を始めてしまったからだった。
 そこに帝国東方に住む、ギリシア人とユダヤ人の敵対感情が加わってしまったことで、問題は過激化した。
 アレクサンドリアで始まった暴動は、カリグラの名を借りたギリシア人のユダヤ人に対する敵対感情の爆発であった。エジプト長官フラックスが、調停役ではなく、ギリシア人側に立ってしまったことで、暴動は激化する。
 ユダヤ人社会は使節団をローマに送り、カリグラに直訴する。カリグラはユダヤ人使節団の話に聞く耳を持たなかったが、新長官は任命した。新長官は、アレクサンドリアのギリシア人のこれ以上の暴動は許さなかった。
 カリグラのゲルマニア民族への勝利を記念して、ギリシア系住民はカリグラに捧げた祭壇を立てて、犠牲式を行おうとした。これに怒ったユダヤ人が祭壇を粉々く壊してしまった。今度はカリグラは激怒する。
 カリグラを模した最高神ユピテルの神像を作ってイェルサレムの大神殿の中に立てよ、とカリグラはシリア総督ペトロニウスに命令を下す。書簡で送ったばかりでなく、公表までしてしまったのだから、ユダヤ人も知ってしまった。
 ユダヤ人社会の憤怒に、総督ペトロニウスはサボタージュで答える。密かに神像の作成をゆっくり進めるように命令し、ユダヤ人には無言で軽くうなずくという、証拠の残らない方法で答える。
 自分の命令が完了しないことに腹を立てたカリグラは、ペトロニウスに自殺を命じる。しかし、その書簡を携えた船が到着する前に、カリグラのほうが殺されてしまった。ペトロニウスは命拾いする。

カリグラ殺害

 パルティア問題といってもアルメニア問題なのだが、アルメニアがパルティアにつこうかどうか迷い始めてしまったことで、緊張状態に陥る。
 北アフリカのマウリタニアの王の祖父はマルクス・アントニウスである。カリグラの曽祖父もアントニウスだった。属国の王に自分と同じ血が流れていることに我慢できなかったカリグラは、マウリタニア王をローマに呼び寄せ殺害、マウリタニアの属州化を宣言した。マウリタニア人は、反ローマで蜂起する。

 財政破綻、市民からの支持率低下、外交の失敗。カリグラの統治の失敗は、帝国の統治権を元老院に取り戻すチャンスだったのだが、元老院は動かなかった。
 カリグラの国家反逆罪法に怖れていたこと、ゲルマニクスの息子カリグラに反抗できなかったこと、何よりも、カリグラを排した後の帝国統治をどうしたらいいか分からなかったこと。

 行動を起こしたのは、近衛軍団の大隊長カシウス・ケレアとコルネリウス・サビヌスだった。前41年、彼ら二人はカリグラを殺害する。
 その後、二人はクラウディウスを近衛軍団の前に連れて行き「インペラトール」の歓声を送ることで、クラウディウスを次期皇帝に推戴する。元老院は追認するしかなかった。
 近衛大隊長二人は皇帝殺害の罪で死刑に処される。彼らも従容として死を受け入れる。何も言い残していないので、動機は不明である。そして、近衛軍団も抗議の声を上げていないので、やはり動機が不明である。
 塩野さんは、ゲルマニクスに仕えたケレアは、息子のような存在のカリグラに、断固とした処置を下した父親のような気持だった、と想像する。
 カリグラは火葬にふされたが、皇帝廟には葬られなかった。ゆえに、埋葬場所は不明。
 カリグラが多くつくらせた彼の像は、殺害直後に破壊された。現代にまで残るものは驚異的に少ない。
 ローマ人皇帝カリグラの痕跡を消したのである。