【読書】『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち[四]』20【皇帝ネロ】

ネロの皇帝就任に、一般民衆は気分の刷新に喜んでいたが、元老院は解放奴隷からなる秘書官政治の廃止を期待して、喜んでいた。
ネロは、秘書官政治を補佐官政治に変えた。とはいっても、結局は非公式に変わっただけで、クラウディウス以前に戻っただけである。
また、ネロは、アウグストゥスの政治に戻すことを宣言する。
ここまでは元老院に配慮していた。しかし、元老院には取り込まれなかった。「終身執政官」なる官職を思いついてネロに贈ろうとするが、ネロは断っている。
外政も内政も、それなりに成果を挙げていたのだが、ネロは人気が出ると余計なことを始めて、人気を失う。人気を失うと狼狽して、さらに余計なことを始めてしまう。
外政
ブリタニア
ブリタニアで反乱が起きた。
属州税が高かったからではない。しかし、本国では年利12パーセントに制限されていた金利が、属州では野放し状態。ブリタニアではとくに。
それをコントロールするのが政治の役割なのだが、側近中の側近セネカがブリタニアでの金融業で巨富を蓄えていたと言われているのだから、政治の介入は望めなかった。
金融業者に向けられた怒りは、ほとんどの金融業者がローマ人であったため、ローマ人全体に向けられた。
反乱は鎮圧された。しかし、報復処置は全くなかった。詳細は分かっていないが、ブリタニアの人々が納得する何らかの処置がなされたと考えられる。
パルティア・アルメニア問題
パルティア王ヴォロゲセスは妾腹の出だった。その弟ティリダテスは本腹の王子だった。ティリダテスは妾腹の兄ヴォロゲセスにパルティア王位を譲った。それに感激した兄ヴォロゲセスは、弟の落ち着き先としてアルメニア王を選んだ。
パルティア・アルメニア問題に派遣されたのは、低地ゲルマニア軍の司令官グネウス・ドミティウス・コルブロだった。
とはいっても、シリア属州クワドラートゥスの指揮下である、カッパドキアとガラティアの二属州の総督という地位だった。そして、それぞれ二個軍団を率いてのアルメニア攻撃を命じられる。
軍事経験のないネロとセネカは、指揮系統の二分化という失敗を犯していた。
加えて、シリア属州の二個軍団が役に立たなかった。
ライン河・ドナウ河防衛線の相手は蛮族で、いつ襲撃してくるかわからない。よって常に警戒態勢にある。
しかし、シリア属州の相手は交易相手で、襲撃してきた時だけ戦うことになる。むしろ商取引の相手で、商売に携わる者までいた。
コルブロは、アルメニアの国境に近い山岳地帯で軍事訓練を施して、精鋭部隊に鍛え直す。
軍事訓練の間に、パルティアの情報を探り、ヴォロゲセスとティリダテスの事情を知った。
コルブロはティリダテスに「即位をネロに願ってはどうか」と提案する。ローマの覇権を認めればティリダテスのアルメニア王位を認めると。
しかし、パルティア王ヴォロゲセスは拒否した。弟をローマの従属者にするわけにはいかず、そうなってはパルティア世論がどうなるかわからない。
こうなっては軍事的に解決するしかない。コルブロはアルメニアに進軍し、アルメニア全土からパルティア勢力を一掃する。
ネロはティグラネスをアルメニア王として送り込み、コルブロに守備を命じる。クワドラートゥスが死んで空席になったシリア総督にコルブロが任命された。アルメニア戦線のみを担当する司令官派遣の必要性を説いたが、派遣されてきたのはペトゥス。指揮系統は二分されたままだった。
そのペトゥスが、パルティア軍に攻囲され、降伏する。パルティア王が出した条件は、アルメニア全土からのローマ軍撤退である。
しかし、この敗北がローマ軍の指揮系統の一元化をもたらす。総勢五万のローマ全軍の指揮権を手に入れたコルブロはアルメニアを再度攻撃する。城砦はことごとく破壊、親パルティア派の貴族の所有地は焼き討ちし略奪。
このまま進めば、アルメニアは全土は焦土と化す。焦土となる前のアルメニアを、ローマ皇帝からの贈り物として受け取ったほうがよいのではないかというコルブロの提案に、アルメニア王ヴォロゲセスは受けるしかなかった。
ティリダテスがローマに行き、皇帝ネロから王冠を授けられる、という形でパルティア・アルメニア問題は解決する。
母殺し・妻殺し
アグリッピーナ
アグリッピーナは、ローマ史上初めて女として権力を行使したいと思っていたが、権力を行使したいのはネロも同じである。結果、どこの家庭にでもあるような、母と息子の対立が起きる。
最初の反抗のきっかけは、ネロが奴隷女に惚れこんだことだった。ゲルマニクスの血統を誇るアグリッピーナは、相手の身分に激怒した。
ネロの母親への反抗に、セネカもブルスも協力する。解放奴隷三人組の一人パラスを解任する。セネカが出した条件は、弟のユダヤ長官留任とパラスの余生の安泰。パラスはこれを飲む。アグリッピーナにしてみれば、片腕をもがれたようなものである。
口を極めて攻撃するアグリッピーナは、ゲルマニクスの娘であることを利用し、近衛軍団に挙兵を促し、ブリタニクスを擁立する、とぶちまける。
アグリッピーナならぶちまけるだけではなく、実行するに違いない。とばっちり以外の何物でもないのだが、ブリタニクスの運命は決まる。公式には持病の喘息の発作による死亡と発表される。
次のきっかけは、ネロがポッペアに恋をしたことから始まる。愛人の立場に甘んじるつもりはなかったポッペアは、ネロとの結婚を条件にする。妻オクタヴィアと離婚しなければならないが、それはアグリッピーナが承知しない。
ネロは母アグリッピーナを殺すことを決意する。船底に細工を仕掛けた船に乗せ、沈没させて事故死を装う。しかし、アグリッピーナは自力で脱出して生還する。
事故を装って殺そうとしたことに、アグリッピーナは気がつているに違いない。そう思ったネロは、セネカとブルスに白状して、助けを求める。
セネカとブルスも驚いたが、アグリッピーナが気がついていること、アグリッピーナの性格からすれば、このままおとなしく引き下がるはずがないことにも、意見は一致する。
結局、アグリッピーナは殺害される。公式には「国家反逆罪法」の適用による死刑と発表された。
「母殺し」はネロの心に深い傷を与えることになる。
セネカからの自立
スキャンダルは弱くなったときに襲い掛かってくる。ネロとセネカの間に隙があると見た元老院は、ブリタニアでの高利貸しを理由にセネカを非難する。
ネロに対する影響力を失ったことを悟ったセネカは自主的に引退した。
セネカの引退は、ネロの自制心をコントロールできる人の喪失も意味した。
ネロは妻オクタヴィアを離婚する。離婚したばかりか、流刑に処し、しかも殺害する。ネロには「妻殺し」まで加わってしまう。
凋落
ドムス・アウレア
64年7月18から19日にかけて、ローマを大火が襲う。
ネロの災害対処、救済措置、そしてローマ再建計画も、順当なものだった。「以前より格段に整然とし、美しい街並みに変わった」というのだから同時代人からの評価も悪くはなかったのだ―――――ここまでは。
問題は「ドムス・アウレア」という自然公園を建設しようとしたことだった。都心の中に自然公園を建設しようとする。しかし、ローマ人は「都市」には機能しか求めていない。自然と戯れるのは「郊外」の「別荘」であった。彼らの価値観とは合致していなかった。
このことで「放火犯はネロなのではないか」という噂が発生する。
責任転嫁をされるのは弱い者で、悪知恵を授ける人もいる。この時に責任転嫁されたのはキリスト教徒だった。
しかも、ネロは単なる処刑よりも残酷な見世物にする方法を選んだ。処刑の残酷さは裏目に出た。キリスト教徒に対する市民たちの同情は、放火犯ネロの噂を残すことになる。
歌う皇帝
65年「五年祭」あるいは「ネロ祭」で、ネロは自作の詩を歌うと言い出した。
皇帝のタレント化というスキャンダルを阻止するため、元老院は始まる前から優勝者をネロと決議した。しかし、ネロはこれを拒絶。こうなっては元老院に打つ手はない。優勝したかどうかは記されていない。だが、大成功だったようである。
ギリシアへの旅を決める。視察ではなく、歌手としての巡業である。自作自演の歌手として優勝したとして、ローマで凱旋式を行う。
凱旋式は、戦いに勝った将軍を祝う儀式なのだ。歌手として優勝しての凱旋式など前代未聞である。ローマ庶民からの人気も急速に失う。
決起
帝政打倒や共和政復活を願ったのではない。だれもが「ローマの将来を憂慮」して「ピソの陰謀」が発生した。
陰謀は未然に発覚した。ブルス死後に、近衛長官の一人にティゲリヌスを任命していた。ティゲリヌスが陰謀の容疑者を摘発する。
セネカの関与がハッキリしていない。知っていたのか、部外者であったのかも、分かっていない。しかし、どちらともとれる答えを返してしまったがゆえに、セネカは陰謀加担者と断じられて、自死する。
武人たちの言葉はすっきりしていて明快だった。
あなたを、憎悪していたからです。とはいえ、あなたが皇帝にふさわしく敬意を払われるに値する人であった頃は、わたしほどあなたに忠実な部下はいなかったでしょう。しかし、あなたが母を殺し妻を殺し、競技会に夢中になり、歌手稼業に熱中し、放火まで犯すようになってしまってからは、あなたへの感情は憎悪しかなくなったのです
あなたの犯す数々の誤りを正すには、あなたを殺すしかなかったのです陰謀は失敗したが、ネロは警戒心の塊になる。さらに最愛の妻ポッペアも死ぬ。
陰謀は続く。「ベネヴェントの陰謀」は、軍団の若手将校たちが首謀者だった。同世代の若者たちからも不信任を突き付けられたことになる。
ギリシア視察中に、ライン防衛の司令官スクリポニウス兄弟とコルブロを呼ぶ。そして彼らを殺してしまう。確たる証拠もなしの殺害は、軍団兵にも疑惑の目を向けられる。
ガリア部族の、ガイウス・ユリウス・ヴィンデックスが蜂起する。蜂起の理由は「ガリアの独立」ではなかった。ネロは帝国の責任者として不適切である、という「ローマの将来を憂慮」してのことだった。
ガリアの反乱は、高地ゲルマニア軍団によって鎮圧される。しかし「ローマの将来を憂慮」の方は共有される。司令官ルフスは軍団兵に新皇帝に推戴されるが、ルフスは断る。
しかし、属州タラコネンシス総督ガルバは挙兵する。オトー、カエキーナも同調する。イベリア半島全体が反ネロに決起する。
元老院がひそかに連絡を取り始めると、ネロの転落は急だった。
ティゲリクス、護衛兵、召使いの奴隷も去っていた。エジプト逃亡のための船の船乗りも逃亡していた。追い打ちをかけるかのように、元老院から「国家の敵」と宣告される。
最後まで付き添ったのは、わずかに四人。解放奴隷の一人の家に隠れていたが「皇帝ガルバ、ばんざい」の歓声を耳にすると、自死を選んだ。
68年6月9日、30歳でネロは死んだ。
遺灰は「皇帝廟」には葬られなかったが、ドミティウス一門の墓所に埋葬された。マルス広場であることは分かっているが、現代では不明である。