【読書】『中国古代史研究の最前線』
- 出土文献を伝世文献の奴隷や脚注として扱わないこと
- 当時の歴史認識を読み解こう
- わからないものはわかるように努力しよう
出土文献を伝世文献の奴隷や脚注として扱わないこと
- 出土文献:金文(青銅器の銘文)・甲骨文・竹簡・帛書-考古学的な発掘や盗掘などによって土の中から出てきた資料。伝世文献と対比するための呼称
- 伝世文献:『史記』『春秋左氏伝』といった伝統的に受け継がれてきた漢籍。
金文や甲骨文が文献といわれると違和感を感じますが、ここでは「文献」。
ここで問題になるのは、歴史学と考古学の関係です。
- 歴史学:伝世文献・出土文献のような文献を史料として過去のことを研究する
- 考古学:遺跡や遺物を通して過去のことを研究する学問
そんなことは言われなくても分かってるよ、と思うなかれ。
中国史研究にあたっては、なぜか歴史学の奴隷や脚注として考古学を扱う傾向にあるからです。
「『史記』に書いてあったことが本当だったことが、遺跡から証明された!」
という方向に向かってしまうのです。
本来だったら、歴史学と考古学は、それぞれ独立し、補完し合うもの。
しかし、古代中国史には致し方のない事情があります。
例えば、『春秋左氏伝』。
『公羊伝』が『春秋』の一字一句の解説を行うのに対し、『左伝』は経文に対応する説話を採録することで、『春秋』の補足・解説を行っている。
おかげで『左伝』の史料的価値が高すぎて、どうしても「伝世文献」を使いたくなってしまいます。
それに、中国では盗掘が多いのです。
爆薬を使用して盗掘するなどという乱暴なことをする輩がいる。鄒衡という方が発掘の指揮をとると、「盗賊団に襲われるのではないか」と心配されるほど物騒だったとか。
きちんと発掘して、土壌を調査し、地質学者に目を酷使してもらえば、もっといろんなことがわかりそうなのにな、と思うと残念です。
それらを踏まえると「伝世文献を頼りとして出土文献で補完する」というスタンスをとってしまうのは、致し方のないことかもしれません。
当時の歴史認識を読み解こう
例えば呉の国。
『史記』「呉太伯世家」によれば、周の太王の子であった太伯と仲雍がうんたらかんたら・・・・・
ということで彼らが始祖だったという「始祖伝承」を書いています。
現代から見れば偽証の疑いしかありませんが、春秋期においては諸侯間の会盟という外交の場で効力を発揮していたようです。
その際、虚構性は問題とせず、お互いに始祖伝承を承認し合っていたのではないか、と考えられています。
また、西周期には五等爵というものが存在し、公侯伯子男という単一の序列があった、と思われていましたが、実際はそうではありません。
それは、春秋期に入って会盟のときに必要になったから、序列を作り出した、と考えられています。
また、『尚書』にみえる官制が西周期に存在していたわけではないのです。
戦国期の儒家が理想として書いたものなのではないか、と考えられています。
というように、「事実」がどうであったかということよりも、「当時の人たちは歴史をどのように扱っていたのか」という史料として研究しよう、という方向に向かっています。
わからないものはわかるように努力しよう
我々は世に現れたものをまずは受け入れるしかないのである。「どのように扱ってよいかわからない」のなら、わかるように努力しなければならない。
盗掘がある。偽器・偽銘がある。
ということで、出土状況の分からない物は歴史考古資料として認めるのに躊躇する、という研究者もいるそうです。
しかし、劉暁霞という考古学研究者は、大陸在住で台北故宮に所蔵の小臣らい簋(らいが変換できない。スミマセン。)を研究し真偽の判別を行って偽器偽銘でないと結論づけたばかりか、蓋と器体の銘文の書体のちがいから、蓋と器体が入れ違いになっていることまで明らかにしたのです。
だから「資料として使いたくない」というのは間違えている。
そうではなく、資料として扱って調査し、真偽を確かめる努力をしなければならないのです。
現代でも、ドローンとか、エアホイールとか、仮想通貨とか、分からないものは増えています。
分からないから使わない、ではなく、とりあえず使ってみる。
その結果、使えないものだと判断したら使わなければいいし、危険なもの困ったものだと思ったら排除すればいいだけのことです。
まとめ
- 出土文献を伝世文献の奴隷や脚注として扱わないこと
- 当時の歴史認識を読み解こう
- わからないものはわかるように努力しよう