【君主論】幸運によって得た君主権をどうやって保持するか?【チェーザレ・ボルジア大絶賛】
あのマキアヴェッリが大絶賛しているのです!そこでもし公(=チェーザレ・ボルジア)の歩みを考察してみるならば、彼が未来における勢力のために偉大な基礎固めを行ったことが分かるであろう。そして私は彼の行動の実例以上に新しい君主に対して適切な教えを示すことはできないと考えるので、彼の行動について論ずるのは余計なこととは思われない。
あのマキアヴェッリが大絶賛している理由とは?
そして、幸運によった君主権をどうやって保持すればいいか?
マキアヴェッリによれば、たった一つの過ちを除けば、チェーザレ・ボルジアの行動を模倣せよ、と言っているのです。
幸運によって得た君主権の保持が難しい理由
というのが結論。運命の女神によって自らにころがり込んだ地位を維持するための準備を直ちに行う能力を持たず、しかも君主となる前に保持しておく基礎を君主となった後に作り上げる能力を持っていないならば、彼はその地位を維持できないのである。
人間の意志と幸運は、非常に変わりやすく、安定しないもの。
誰かの好意によって君主権は「獲得」できるかもしれない。
しかし、幸運によって「獲得」したものは、幸運が去れば手放さなざるをえなくなる。
非情な才知の持ち主でなければ、それまで一私人として生きてきた者が、人間の命令の仕方を知っているはずがない。
したがって、君主権を「保持」する、能力を持っているわけでも、基盤を持っているわけでもない。
「武器なき預言者破滅する」(参照)―――――というのが、難しい理由である。
裏を返せば、「保持」する能力と基盤を持つことができればよい。
その好例がチェーザレ・ボルジア。
だから、チェーザレの行動を見倣おう。
チェーザレ・ボルジアを模倣せよ!
チェーザレ・ボルジアについては、塩野七生さんが詳しく、面白く書いてくれています。
教皇アレクサンデル六世が、その息子チェーザレ・ボルジアに権力を与えたものの、当時のイタリアは一言でまとめると「内憂外患」。
幸運によって「獲得」した権力なのだから、自前の軍隊、経済基盤を持っているわけではない。
幸運によって「獲得」したものは、幸運が去れば手放さなざるをえなくなる。
それを、チェーザレは非常な才知で克服します。
オルシーニ家の兵を借り、フランス王の助けを得て、ロマーニャを獲得したのですが、マキアヴェッリが指摘しているように、傭兵と援軍はアテにならない。
参照:【君主論】援軍について【自分の国は自分で守る】
参照:【君主論】傭兵隊に対する批判。そして反省。【証拠を挙げて検証】
これに気がついたチェーザレは、他人の軍や幸運に頼らずに権力を保持する方法―――自前の軍隊と自分の領土を獲得する方法を選びます。
マキアヴェッリの分析によれば、
- 征服地の支配者の血統を根絶やしにする
- ローマ人を味方につけて教皇の介入を防ぐ
- 枢機卿会議をコントロールすること
- 現教皇が死ぬ前に、充分な領土を獲得すること
この4つになり、そして、それはほぼ成功していたのです。
どうして失敗したのか
不運
自分の父アレクサンデル六世が病に倒れた際、チェーザレも同時に病い臥せってしまったのです。自分は父の死に際して生ずべき事柄を考え合わせてそれに対して措置をとっていたが、しかし父の死の時点で自らもまた死に瀕するようなことになるとは全く考えが及ばなかった、と。
まさかそんなことになろうとは。
これはもう、「不運」としか言いようがないのです。
唯一にして最大の誤り
上述したマキアヴェッリの成功の理由4点の中に「教皇の介入を防ぐこと」と「枢機卿会議をコントロールすること」がありました。
しかし、「それなのになぜ?」という失敗が
「教皇ユリウス二世を誕生させてしまったこと」
です。
マキアヴェッリは、”イスパニア人かルーアン枢機卿を教皇にすればよかったのに”、と嘆いています。
実に人間は憎悪かあるいは恐怖のゆえに他人に攻撃を加えるものである。というのが、マキアヴェッリの洞察。
ユリウス二世は、チェーザレによって傷つけられた人。
復讐の機会をうかがっていたのです。
これがチェーザレの敗因でした。
まとめ
幸運により君主権を「獲得」することはできます。
しかし、「保持」するのは困難なのです。
チェーザレ・ボルジアほどの才知が必要です。
それでも、たった一つの誤りで、すべてを失ってしまうのです。