【君主論】気前が良いより「けち」になれ【憎悪されるよりはマシ】

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 『君主論』第一六章は「気前良さとけちについて」である。
 ちなみに、マキアヴェッリが言う「けち」とはトスカナ語。自分の所有物を使わないようにする人のこと。

「気前が良い」とどうなるか

 一般に考えられているように「気前が良い」という評判を獲得しようとすると、どうなるか?
 「豪奢」と呼ばれるもの行う
⇒自らの資産を食いつぶす
⇒重税をかけて回収しようとする
⇒民衆の憎悪を買う
 したがって、マキアヴェッリは、こう結論づける、

君主は害を蒙らずに、しかも人々に明らかであるような形で気前良さという美徳を示すことができない。したがって、賢明な君主はけちであるという評判を気にすべきではない。

例外を見てみよう

君主になろうとしている場合

 マキアヴェッリはこの例としてカエサルを挙げている。
 「カエサルは気前良さによって最高権力者になったではないか」
 これから君主になろうとしている人にとっては、「人気取り」は必要なことである。
 そして、カエサルの場合は暗殺されてしまったので、長期政権を保っていたら、彼がどうしたかは分からない。。
 ちなみに、カエサルはガリア遠征に立つ前は天文学的な借金を背負っていた。そして、どうやったかは分からないが、ガリア遠征で返済した。

戦争で勝った場合

 軍隊を率いた場合、大いに戦利品を獲て、略奪を行い、貢納を命じ、他人の持ち物を処分する場合には「気前よく」する必要がある。

一般に君主は自己及び自己の臣民の財貨を費やすか、あるいは第三者のそれを費やすものである。第一の場合には節約すべきであるが、第二の場合には気前良さを大いに発揮すべきである。
他人の財貨の蕩尽は名声を奪うどころか、かえって名声を高めることになる。有害なのは自己の財貨を蕩尽する場合だけである。
 さもなければ、兵士は付き従わないだろう。
 傭兵も援軍もアテにするな。
 「自分の国は自分で守れ」と主張したのがマキアヴェッリ。
 それなら、自己の軍隊から支持されていなければならない。
 戦争で勝利したら、戦利品は「気前よく」分配して、軍隊からの支持を得よう。
 自分の懐の心配をすることもなく、「人気取り」ができるのだから。

そこから得られる成功法則

憎まれるな

軽蔑されることと憎悪されることとは君主が警戒すべき事柄の中に含まれるが、気前良さはこの二つを生み出すことになる。

 「気前良さ」を発揮すると、「財源は?」ということになる。
 それで重税をかけでもしたら・・・・・僕たち庶民は知っている。イヤだ。
 マキアヴェッリの時代は、今ほど人権が保障されていなかったから理解しやすい。
 恨まれるどころか憎まれる。
 選挙で負ける、程度では済まないのだ。
 君主でなくとも危ない人生が待っている。
 憎まれるよりマシだ。

「ケチ」になれ

憎悪を伴った悪評を蒙るよりも、憎悪を伴わない悪評をもたらすにすぎないけちの評判を得るほうがより賢明である。

「あいつ、ケチなんだよ」
と毒づかれたところで気にしない。
 危険度を示せば、
 「憎悪」 > 「ケチ」
ということになる。
 それでもお構いなしに自分の財貨の蕩尽を続けていたら?
 貧乏になり軽蔑されることになる。
 だったら、はじめから「ケチ」と毒づかれていた方がよい。

他人の財貨は使ってしまえ

 とはいっても、ある種の「人気取り」は必要なこと。マキアヴェッリも認めている。
 この「例外ルール」は、「他人の財源を使う」ことが条件である。
 他人のポケットマネーを自分のポケットマネーにしたら、兵士もついてこないだろうし、民衆もついてこない。
 だったら、「気前よく」分配しよう。
 自分の懐が痛むことなく、「人気取り」ができる。