【君主論】民衆とともに国を守ることが君主の「責務」【民衆から憎まれるな】
『君主論』第二〇章は「砦やその他君主が日常的に行う事柄は有益かどうか」です。
臣民を武装させること
マキアヴェッリは
「自分の国は自分で守る」
ことを主張しています。
イタリアや、祖国フィレンツェが、傭兵や外国の援軍で混乱に陥ったことに対する憤慨と反省が、その根拠です。
参照:【君主論】傭兵隊に対する批判。そして反省。【証拠を挙げて検証】
参照:【君主論】援軍について【自分の国は自分で守る】
そうである以上、自前の軍事力を保持することが必要になります。
したがって、臣民を武装させること。
新しく君主になったものがその臣民を武装解除したことは決してなかった。その理由は、
臣民を武装させるならばこの軍隊は君主の軍隊となり、それまで疑惑の的であったものは忠実となり、また忠実であった者は依然として忠実であり、臣民は君主の党派になるからである。誰だって、「信用されてない」と思ったらいい気分はしない。
第三章では”人間は寵愛されるか、抹殺されるか、そのどちらかでなければならないということである”と言っている。
わざわざ、疑惑の目を向けられるようなマネをすることはない。
また、”人に危害を加える場合には、復讐を恐れなくて済むような仕方でしなければならない”とも言っている。
「武装解除する」などという中途半端なことをして、恨みをばら撒かない方が身のためだ。
国内を統一せよ
「統治するなら分断せよ」は間違いである。
分裂が何かよい結果をもたらすとは信じられないからである。それどころか、敵が攻めてきた時に町が分裂していれば直ちに失われてしまうのは必至である。何故ならば、より弱い党派は外部の力と同調し、他方の党派は統治ができないからである。攻撃する立場に立てば、内通者を探して内から城門を開かせる方法を考えるもの。
守る側の立場に返せば、そんなことをさせないために国内をまとめておいたほうがいいのです。
マキアヴェッリはこう結論します。
平和な時代に、臣民を容易に操縦するには有益な方策ではあるが、戦争がはじまると、こうした方法は間違ったものであることが判明する。
征服地の味方は、吟味せよ
ただし、征服地は例外である。
マキアヴェッリがオススメする征服地の統治方法は
【最良の方法】君主自ら居住する
【次善の方法】植民する
であり、最悪の方法は、軍隊のみ駐留させることである。
参照:【君主論】支配の仕方が分からないフランス人はどうすればよかったのか?【征服地の支配に関する考察】
征服地の統治が困難な最大の理由は、支配が完全ではないということである。
したがって、マキアヴェッリは、”古い君主の血統は根絶やしにせよ”(第四章)とか、”自由な国制は破壊せよ”(第五章)とかいっている。
参照:【君主論】「中央集権制」と「封建制」の比較【アレクサンドロス・トルコ・フランス】
参照:【君主論】新しく獲得した君主権についての考察から導き出す「成功法則」を2つ
君主が新しく領土を獲得して旧来の領土にその一部として併合する場合には、それを獲得した際に自らの味方であった者を除いてこの新領土の住民を武装解除する必要がある。「ケース・バイ・ケース」というものである。
支配を確立するため、国内を統一するため、の例外。
その中にも例外がある。
君主がそこの内部の味方の力を借りて新しい支配権を獲得した場合、彼の味方をした人々が何故に彼の味方になったのかを十分に考えることである。
君主、特に、新しい君主は、権力を掌握した当初は疑わしかった人間の方が、当初から信用してきた者よりも忠実で、役に立つことを経験している。旧来の君主が有能で善良であった場合、有能で善良な臣民は旧来の君主に忠義を誓うものである。
そう考えれば、この臣民はこちらが攻撃する際には困った敵だが、味方にすれば信頼できる味方になる。
逆に、こちらが攻撃する際に、裏切って内通して城門を開けてくれた人は―――――上述したが、「困った味方」になってしまう。
”何故に彼の味方になったのかを十分に考えること”である。
そして、マキアヴェッリの結論は、
支配が始まった頃に敵であった者は、自らを維持するためには君主の助けを必要とする人間であり、君主は極めて常に容易に彼らを手なずけることができる。その上、彼らは自らについての良くない評判を払拭する必要を強く認識しているだけに、彼らは非常に多くの場合、忠勤を励むように仕向けられる。となるのだが。
もうちょっとマシな言い方をしてくれれば、マキアヴェッリも恨まれることはなかっただろう。
民衆に憎まれるな
君主と言えども「人間」。「セキュリティ」まで否定する気はない。君主は通常、その支配権を安定的に維持するために砦を築き、彼に対して企てを行う人々を抑制し、不意打ちを食った時の安全な逃げ場としてきた。
砦が役に立つかどうかは状況によるのであって、ある場合には有益であるが、他の場合には有害である。
国外者よりも民衆を恐れている君主は砦を築くべきであり、民衆よりも国外者を恐れている君主は砦を放棄すべきである。国外者より民衆を恐れている君主とは何なのだろう?
そんなことになるのなら、亡命でも逃亡でも、国外に脱出してしまえばいいものを。
最善の砦とは民衆に憎まれないことである。砦を持っていても、民衆が憎んでいるならば、砦は救いにならない。民衆にしてみれば、武器を執って立ち上がればそれを助ける国外者に事欠かないからである。国内を統一し、民衆から支持され、そして臣民を武装させ、自分の国は自分で守る。
それは君主としての「責務」である。
私は砦を持つ君主もそうでない君主も称えるが、砦に頼って民衆に憎まれることを大して気にかけない者は非難するであろう。あのマキアヴェッリと言えども、「民衆に憎まれるな」と言っている。
自分の国を自分で守るために。