【君主論】側近を見れば君主が分かる

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 『君主論』第二二章は「君主の秘書官について」である。

側近を見れば君主が分かる

君主の思慮次第で大臣の良し悪しは決まるのである。ある君主の頭脳がどの程度のものかを推測する場合、まず彼の近辺にいる人間を見るのがよい。

「側近を見れば君主が分かる」
のである。
 マキアヴェッリは、シエナの支配者パンドルフォ・ペトルッツィの大臣アントニオ・ダ・ヴェナフロを具体例として挙げているが、我々にはなじみがないであろう。
 しかし、僕らが知っている歴史を紐解いてみれば、優秀な参謀・側近・補佐官に恵まれた人物ほど偉業をなしている。
 ”類が友を呼ぶ”と同じ理屈で、ある人を判断するのには、周囲の人間を見ればよい。

側近の判定法と利用法

彼が君主のことよりも自己のことを考え、すべての行為において自らの利益を追求しているのが明らかである場合、彼は決して良い大臣とはならないし、信用することはできない。

他人の支配権を手にしている者は決して自らのことを考えるべきではなく、常に君主のことを念頭におくべきで、君主に関わりのない事柄を考えてはならないからである。
 このあたりを読んでいると、”虎の威を借る狐”を思い出してしまう。
 マキアヴェッリが問題にしているのは、「虎の威を借る」ことではない。
 「狐」がどのような目的で行動しているか、である。
 「狐」が「虎」のために行動しているのなら、問題はない。
 「狐」が「狐」のために行動しているのなら、側近としての資格はない。
 「君主」の力量も「その程度のもの」として判断されてしまうのだ。
 「狐」が「虎」のために行動するための処方箋。
君主は彼が忠実であり続けるように彼に名誉や富を与え、恩義によって結びつけ、名誉と責任とに与らせて、その身の上に配慮しなければならない。
大臣は君主なしで存在しえないことになり、充分な名誉を与えられたのでこれ以上名誉を欲することはなく、充分な富を得たのでこれ以上富を欲せず、非情な重責を与えられたため変革を恐れることになる。
 充分な名誉と富を与えること。
 そうすれば変革を望むことはなく、したがって君主の地位も安泰である。
 当然のことである。
 誰が、名誉も富も与えてくれない君主の下で働きたいと思うだろう?
 恨まれ憎まれ、軽蔑され、そして裏切られるのが、オチである。

余談:人間の頭脳3段階

人間の頭脳にはそもそも三種類ある。第一は自らの力で理解するもの、第二は他人の意図するところを察知するもの、第三は自らの力で理解せず、また他人の意図を理解しないものである。第一のものは非常に秀れ、第二のものも優秀であり、第三のものは無能である。

レベル3:自らの力で理解するもの
レベル2:他人の力を借りられるもの
レベル1:自分で考えられないし、他人の力を借りられないもの
 ”ググれば分かる”というのはレベル2なのだ!
と考えれば、ググれる人はそれだけで優秀なのである。