【君主論】時代の変化に対応せよ【どうせ変わる】

読書,君主論読書,君主論

 『君主論』第二五章は「人間世界に対して運命の持つ力とそれに対決する方法について」である。
 マキアヴェッリでさえも言っている。

今日人間の想像を絶するような大転変が毎日生じているため、この見解はいよいよ信じられやすくなっている。このような事態の変化を考えるに及んで私としても彼らの見解に少しは傾きがちである。
 いつの時代も生きるのは大変なのです。だから、同情はする。
 しかし、運命や時代の波に、翻弄されっぱなしでいいわけはない。

嵐を防げなくても、嵐に備えて準備はできる

私は運命を破壊的な川の一つに例える。

 マキアヴェッリは「川の氾濫」で「運命」を例える。

  • 川が氾濫すると、猛威を振るって破壊される
  • 人々はそれに抵抗できない
  • しかし、平時に堤防や堰を作れる

 嵐を防げなくても、嵐に備えて準備はできるのだ。

運命がその力を発揮するのはそれに抵抗できるような力が組織されていない場合であり、それを防ぐべき堤防や堰がないことが明らかな所にその猛威を向けるものである。
 平和な時代から準備をしておけばいい。
人間の自由意思は消滅せず、したがって私は運命は我々の行為の半分を裁定するが、他の半分、あるいは半分近くはわれわれによって支配されているとみるのが正しいのである。
 嵐が発生するかしないか、は運命だ。
 しかし、嵐に備えて準備はできる。それは運命ではない。運命が「すべて」悪いのではない。
運命にあまりに頼る君主は運命の変転とともに滅亡するということに原因を持っている。
 嵐に備えて準備をしよう。

変化に対応せよ

この世に生き残る生物は,最も強いものではなく,最も知性の高いものでもなく,最も変化に対応できるものである。ダーウィン『進化論』

 マキアヴェッリも言っている。
両者が異なる行動様式をとっているにもかかわらず同一の結果を得、また同じように行動しているにもかかわらず一方は目的を達成し、他は達成しないという事態も生ずるのである。
時勢に自らの行動様式を順応させる君主は栄え、同じ理由から時勢に適応できない行動をとる者は不幸に陥ると思われる。
 時勢がどう転変するか分からないけれど、適応できれば栄え、適応できなければ不幸に陥る。
 変化に対応せよ。
 生き延びるために。

そうそう性格は変えられない

 とはいっても、

かかる情勢の変化に適応できるほど賢明な君主は見当たらない。それというのも人間は生来の性向から離れることができず、またある方法によって常に成功した人間にその方策を捨てるよう説得することはできないからである。
 嵐に備えて準備はできる。しかし、相手が時代の変化だったらどうするか?
 誰しも持っている自分の性格、性向、個性、価値観。これが目を曇らせる。
 変化しているのに、気がつかない、気づきたくない。分かっていても、変えられない、やめられない。
 人間が持っている、性格、性向、個性、価値観。マキアヴェッリですらこれを否定しない。
ほかならぬ人間の行動様式が時勢に合致しているか否かから生じてくる。

『君主論』ではないのだが

もし人が時勢や状況の変化に応じて、自らの行動を変えてゆくならば運命は変化しないことになろう。

 人間が持っている、性格、性向、個性、価値観を、時勢に合わせて変化させることができれば、不幸に陥ることを避けられる。
 マキアヴェッリの時代から、500年近くの時が過ぎている。
 その間に知識が蓄えられている。
 つまり、人間の持つ傾向に、どうやって折り合いをつけるか、の知恵を得ている。
 たとえば、下園壮太さんは、「価値観2.0」を生み出そうといっている。
 自分が今まで生きてきた人生戦略を一つの「杖」としたら、これからの人生を乗り越える人生戦略を「新しい杖」として加える。
 これが「価値観2.0」である。


 下園さんは「価値観2.0」とおっしゃられていますが、だれだったか忘れたが「自分2.0」といっている方もいる。
 人間が持っている、性格、性向、個性、価値観を否定するわけではない。そんなことをしたら、自分が苦しくなるだけだ。
 しかし、時代が変化したから、それに対応する新しい方法を考えること、「新しい技」を手に入れることはできる。
 自分の価値観と折り合いをつける方法はある。
 それによって、時代の変化に対応して、荒波を乗り越えることができる。
 どうせ時代は変わる。
 乗り越えるための準備をしよう。