【読書】『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』
ハプスブルク王朝は20世紀初頭までの約650年の長命を保つ。
しかも、その間、ほぼ神聖ローマ帝国の皇帝位を独占。
ヨーロッパ中心部に位置し、多くの国々と婚姻政策を結び、網の目上に領土を拡大している。
名門中の名門―――――なのだが、本を正せばスイスの弱小貴族。
13世紀初頭、ハプスブルク伯ルドルフに神聖ローマ帝国皇帝位が与えられる。
できる限り無能で、こちらの言いなりになる男―――――を選んだつもりだったのだが、その目論見は外れる。
当時、急速に勢力を伸ばしていたボヘミア王オットカル二世を、1278年マルヒフェルトで破る。
ボヘミアを手中に収め、さらにオーストリア一帯を手に入れる。そして、スイスからオーストリアに転居。
しかし、強大になったがゆえに警戒心を持たれ、安定的にハプスブルクに皇帝位が継承されるまで150年かかることになる。
汝は結婚せよ
もともとは、戦争嫌いのフリードリヒ三世が、息子マクシミリアン一世とブルグント公国マリアと結婚させたのが発端。
この結婚には、思わぬ副産物がついてきた。
当時、強大だったブルグント公国の領土と莫大な富を、労せずして手に入れることに成功した。
父に倣え。
マクシミリアン一世は、息子と娘をそれぞれスペイン王家の娘と息子と結婚させる。どちらかの家系が断絶した場合、残された方が領地を継承するという契約を盛り込んで。
これが当たる。
スペイン系が断絶したため、スペインと世界帝国がハプスブルクの手中に。
ついでに、孫の結婚も決める。ハンガリー王室とも同様の二重結婚を行う。
同様の流れで、ハンガリーもハプスブルクの領土に。
ここから有名な「戦争は他の者にまかせておくがいい、幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし!」(誰の言葉かは不明)という家訓が生まれたと言われる戦争というものは、尊い人命が失われ、莫大な費用がかかり、敵意と憎悪を生み出すものだ。
それが「結婚」という平和的手段で領土が広げられるなら、結構なことではないか。
我々も国際結婚というものを流行らせた方がいいかもしれない。領土を広げたいからではない(うかつに領土を広げないほうがいい理由は後述する)。
国際結婚が増えれば異文化交流が生まれ、知的好奇心を刺激され、今までにないアイデアが数多く生まれるかもしれない。
人的交流が増えれば、ビジネスチャンスも増える。
無知から生まれる差別や迫害も減らせるかもしれない。
少子高齢化が進んでいるが、その背景には未婚化がある。しかし、何も日本人同士で結婚しなければならないという決まりはない。日本人にいい人がみつからなくとも、他国人でいい人が見つかることもある。
自国ではなんの役にもたたないモノが、他国人にとっては貴重品である可能性もある。
そもそも、平和的な文化交流ほど楽しいものはない。
少なくとも、戦争ばっかりという世界より、いい世界であることは間違いない。
領土を広げすぎなのだ
問題は、領土を広げ過ぎたことである。
だいたい、スペイン一国ですらまともに統治できていなかったのだ。
「無敵艦隊」と言われるとかっこいいが、オスマン・トルコ帝国VSキリスト教国連合軍の海戦「レパントの海戦」の真の勝利の立役者は―――――スペインではなく、ヴェネツィア共和国であった。
新大陸からの略奪で金銀財宝を手にしながら、それを元手に投資に回し、自国の産業を発展させることを、スペインはやらなかった。
マキアヴェッリは「自分の国は自分で守れ」といっている。傭兵や外国の援軍に頼らず、自前の軍事力で自衛せよ、と。
経済力も同じだ。他国からの収奪で自国が繁栄したとしても、経済が繁栄したわけではない。手にした金を散財しているだけでは、いずれ滅びるのは目に見えている。
そもそも、収入と支出すら把握しておらず、バランスシートを作成してみたら、膨大な借金を背負っていた(【読書】『帳簿の世界史』)。
太陽は沈まなかったかもしれないが、財政は沈んでいた。
そんな国の国王が気楽なわけはない。
フェリペ二世が君臨したのはスペイン黄金時代である。だがその黄金は、インカ帝国などでの略奪やネーデルランドの弾圧によって得た富であり、血の匂いがたっぷり沁みこんでいた。おまけに絶えざる陰謀、反乱、宗教戦争、異端審問、ペストと、この絶対君主の生涯は――父のように戦場から戦場へ駆けずりまわったわけでもなく、ほとんど宮殿で書類に埋もれていた(「書類王」のあだ名もある)にもかかわらず――、血塗られた一生と言っていいほどだ。
ハプスブルクの領土が広すぎて困ったことになったのは、フランス王である。
今でいう、スペインとドイツが一つの王朝の領土だ。
その間に挟まれ、不安を感じたフランス王は、なんの関係もないのに神聖ローマ皇帝に立候補。おかげで、カール五世は選帝候たちを買収するのに多額の借金を背負うハメに。
その借金の支払いのため、スペインに重税を課して人気を失う。傭兵に支払うカネに困り悪名高い「ローマ掠奪」につながる。
「ローマ掠奪」とは。
神聖ローマ皇帝カール五世は、フランス王フランソワ一世と4回戦うことになり、カールの3勝1分けと、戦争は圧勝に終わる。一度はフランソワを捕虜にし、不平等条約を結ばせることに成功する。
ところが、フランソワは条約を一方的に破棄。それをローマ教皇が支持。
「怒った」カールはローマに兵を向けるのだが、上述のように資金繰りが悪化しているので傭兵に支払うカネがない。
給料をもらっていなかった傭兵も「怒って」暴走。
こうしてヨーロッパ人の心の都・ローマは破壊される。
カール五世は生涯で40回も出陣し、大抵は勝ち戦だった。
しかし、戦争は多くの人命と、多額の資金を浪費する。
新大陸からの掠奪で上がったカネもこれではいくらあっても足りない。
なにより「ローマ掠奪」は、カール自身も心痛の種になっていた。
「汝は結婚すべし!」
は、どこにいったのか?
ローマ教皇と結婚するわけにはいかないが、フランスと婚姻政策を結べばよかったのではないか?
「もし、カール五世とフランソワ一世の子どもや孫の間で、婚姻が成立していたら?」
「ローマ掠奪」にしても違う展開があったかもしれない。
ハプスブルクとフランスの間の戦争も、いくつかは止められたかもしれない。
いや、領土を広げすぎたのである。
領土が広いということは、抱える問題も多くなるのだし、それに対応する人材も増やさなければならない。
どうやって?
そもそも、領土問題というのはデリケートなものだ。
防衛のために都合のいいいところまで、という単純な「自然国境説」を唱えたとしても、「どこまで?」というのはいつの時代でも難しい問題だ。
それに、こちらの立場でいえば「防衛」だったとしても、攻め込まれた側は「侵略」である。
そもそも、領土を広げすぎてしまうと、問題は多くなる。そして、多くなった問題が複雑に絡み合い―――――
「このへんまで」というラインは、相当な程度、手前に引いておいた方が自分のためにもなるし、世の中のためにもなる。
婚姻政策そのものは否定されるべきものではなく、むしろメリットの方が多い理由は上述した。
しかし、領土をどうするかは別の問題だ。
ある程度の限度を決めておかないと、問題が増えすぎるだけで、デメリットの方が増えてしまう。
マリア・テレジア VS フリードリヒ
直径男子を得られなかったカール六世は、相続順位法を各国に認めさせる。マリア・テレジアを後継者にすることを。
豊臣秀吉が秀頼を頼むという遺言を残した西洋史バージョン。
秀吉の遺言を破ったのは家康だが、カール六世の遺言を破ったのはフリードリヒ二世だった。
フリードリヒは、父王には「女の腐ったようなやつ」といわれ、厳しい教育、というより虐待を受ける。
父から逃れよう。イングランドに亡命しよう。―――――失敗した。
その計画をほう助した友人を殺されたどころか、フリードリヒ自身も、廃嫡どころか処刑されるところだった。
それをとりなしたのはカール六世だった。
カール六世やハプスブルクに恩義を感じていいものを―――――あっさり破って、シュレジエン侵攻。
マリア・テレジアは、「悪魔」「モンスター」「シュレジエン泥棒」と罵り、コーヒー好きまで悪罵の種にしたと言うから、怒りの程が理解できよう。
しかし、ハプスブルクの繁栄だけが歴史ではない。プロイセンの側に立てば、シュレジエンは喉から手が出るほど欲しい。フリードリヒはそれを実行したに過ぎない。
- 強大なハプスブルクに一泡吹かせたこと
- 寛容な宗教政策
- 流れ込んだ人口で、フリードリヒの時代に3倍の、600万にまで増やす
- 拷問や検閲の廃止
- 法秩序や軍隊の近代化
- 禁欲的な生活(単に、女性が嫌いなだけだったが)
同時代のフランス王が、次から次へと愛妾を変え、あっちこっちに戦争を仕掛けていることを考えれば、フリードリヒがスーパースターになったのもうなずける。
ロシアのピョートル三世がフリードリヒにあこがれていたことは、【読書】『名画で読み解く ロマノフ家 12の物語』で述べた。ピョートル自身は無能であったけど。
しかし、こともあろうに、マリア・テレジアの息子ヨーゼフ二世までもフリードリヒのファンになっていく。
マリア・テレジアも、フリードリヒも、ともに英雄なのだ。
本人たちからしたら迷惑な話なのだろうけれど、後代の我々からしたら、英雄の対決は面白い。
―――――ということで、多くの本があるのだが、ぼくのオススメは『ハプスブルクの宝剣』。