【読書】『名画で読み解く イギリス王家12の物語』【苦労人であることは同じなのだが】

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 テューダー朝二代目のヘンリー八世は、
「アン・ブーリンと再婚したい」
がためだけに、ローマ教皇からの自立と、イギリス国教会の設立にこぎつけた。
 しかし、困ってしまうのは子どもたちである。
 ヘンリー八世の死後、9歳のエドワード六世が即位するが、先天性梅毒で病弱。たった6年で若死する。
 その後、混乱の末に、最初の妻キャサリンとの間に生まれたメアリが即位する。
 メアリの死後、アン・ブーリンとの間に生まれたエリザベスが王位に付き、エリザベスを持ってテューダー朝は終わることになる。
 しかし、二人の人生はハッキリと明暗を分ける。

メアリ1世

 メアリの気持ちを考えれば、恨んでも憎んでも無理はない。
 なんといっても、国王ヘンリー八世と最初の王妃・スペイン王女キャサリンとの間に生まれた子どもなのである。
 しかし、幸せはアン・ブーリンの登場で終焉を迎える。
 母は離婚されて、幽閉される。自分は庶子に落とされる。
 30歳の時、ヘンリー八世の最後の王妃キャサリン・バーの進言で、ようやく王女としての身分が回復したのだ。

 艱難辛苦の末に即位した、メアリは二つの使命に奮い立つ。
 一つは、イギリスをカトリック国に戻すこと。
 カトリックの信仰ゆえに母は死に(メアリにとっては殉教だった)、自分は生き延びた。
 もう一つは、自分の血筋を残すこと。
 幸いにして、ハプスブルク家カール五世の嫡男フェリペと結婚した。

 メアリ一世が今なお嫌われている理由は、英国国教会を解散するだけでは済まず、苛烈なプロテスタント弾圧に突き進んだことに拠る。短期間に三百人を火炙りにし、ついたあだ名が「ブラッディ・メアリ」。

 そもそもヘンリー八世が、離婚したい、再婚したい、と駄々をこねなければ、メアリの人生も安泰だったのだ。
 メアリを不幸に陥れたのは、プロテスタントではなく、ヘンリー八世なのだ。
 アン・ブーリンさえいなければ?
―――――ヘンリー八世は6人の女性と結婚しているのである。
 アン・ブーリンがいなかったところで、いずれキャサリンとは離婚し、ヘンリー八世にとって都合の良いキリスト教を、離婚を認めてくれるキリスト教を作り出しただろう。
 そして夫フェリペのためにと、イギリスのプロテスタントを排除し、戦費と兵士を提供するが、フェリペはせしめるものをせしめると、大陸の戦場へと去っていく。
 そのフェリペは、滞在の期間中メアリの寿命が長くないと気づき、次の女王候補エリザベスに結婚の打診をしているというのに。

この後フェリペは戦争に勝ったが、カレー(英仏百年戦争で唯一残った、大陸におけるイギリス領)は見捨てた。おかげでメアリは「イギリスをスペインに売った」と、これまで以上に憎まれる。

 プロテスタント弾圧で嫌われているのに、さらにますます嫌われることになる。
 メアリの夢というか執念は、イギリスの国益にまったく合致していなかった。

 そして、死の直前、メアリの苦悩がさらにつのる。
 テューダー朝を断絶させないためには、憎きアン・ブーリンの娘エリザベスに王位を継がせるしかないからだ。

エリザベス一世

王位の正当性

 エリザベス最大のコンプレックスは、母親がアン・ブーリンだったこと。処刑時、エリザベスはまだ三歳にもなっていなかったので、母の記憶は朧ろだ。公式の場でアンの名を口にしたのはたった二度と言われる。
 母を愛していなかったから?――そうではない。それはアンの細密肖像を入れた指輪を一生大切にしていたことからも明らかだ。

 メアリも憎んだだろうし、恨んだだろうが、それはエリザベスも同じ境遇だ。いや、それ以上に悪い。
 エリザベスも母アン・ブーリンが父ヘンリー八世に処刑され、庶子に格下げされているのである。
 ただアンは王との結婚を無効にされた上で首を刎ねられた。それは王妃だった事実の否定だ。それ故にエリザベスも庶子に落とされたのだ。ヨーロッパ王室はどんなに愛された寵姫の子であっても、どんなに優秀な子であっても、庶子を王族とは認めない。エリザベスがたとえ一時的にせよ庶子だった事実は、敵に付け入る隙を与える。王冠をかぶる以前から、事あるごとに自分はヘンリー八世の娘だと強調し続けたのは、王位の正統性を喧伝せねばならなかったためだ。

 母を愛し、父が憎いから・・・・・という行動を取ると、自分の王位の正当性が否定されてしまうのだ。

宗教問題

 エリザベスは、国教会はプロテスタントだが、カトリックも排斥しないという、玉虫色の中道策をとる。
 のちのスチュアート朝ジェイムズ一世もエリザベスの中庸政策を取るが、裏目に出る。カトリックもプロテスタントもともに裏切られたと感じて、恨むことになるからだ。
 マキアヴェッリは『君主論』の中でこう述べている

この両者どちらの場合にあっても自らの旗幟を鮮明にして堂々と戦う方が常に有益であると思われる。それというのも第一の場合、もし旗幟を鮮明にしなければ勝利者の餌食となり、敗北した場合はこの成行きを喜び、溜飲を下げることになる。そして保護を求めるにも名分がなく、避難所を与えてくれる人もいない。何故ならば勝利者は逆境にある時援助しなかったような疑わしい者を味方にしようとしないし、また敗れた者は剣を手にして自らと運命をともにしなかったような者を受け入れはしないからである。『君主論』第21章
 日本人なら関ケ原の戦いの小早川秀秋のエピソードを思い出せばわかりやすいだろう。
 しかし、このマキアヴェッリの主張する「アンチ中立」にエリザベスは成功する。

メアリ・スチュアート

 エリザベスにとって目の上の瘤はスコットランド女王メアリ・スチュアートだった。
 祖母はテューダー朝開祖ヘンリー七世の娘。父はスコットランド・ステュアート朝7代目ジェイムズ五世。母はフランスの大貴族ギーズ家の娘。
 由緒正しき家柄で15歳でフランス皇太子妃になり、翌年には夫がフランソワ二世として戴冠する。
 これ以上ない恵まれた条件すぎるのだが―――――墓穴を掘る。

よせばいいのに周囲からそそのかされるまま外交文書に、「フランス、スコットランド、イングランド、アイルランドの統治者」と署名した。庶子のエリザベスに資格無しと世界に発信したのと同じで、エリザベスにとっては最も触れられたくないところを刺された。メアリを、イギリス王位を狙う者と見做すのは当然だろう。
 それはそうであろう。エリザベスが敵視しても当然だ。
 メアリ・ステュアートの栄光は続かない。翌年には夫が死去。スコットランドに帰るしかなくなる。
 しかも、フランスでは、母后カトリーヌ・ドゥ・メディシスが政権を握る。余計なことをしてしまった以上、カトリーヌ・ドゥ・メディシスはハッキリと敵に回る。フランスは頼れない。
 スコットランドへ戻り、ダーンリー卿と結婚するが、夫婦仲は冷え切ったところで、夫が爆殺される。その死に関わったとされるボスウェル伯と三度目の結婚を上げるが、これにはスコットランド国民が怒る。当然だ。
 結局、イギリスに逃げることになるのだが、まさかエリザベスが助けてくれると思ったのか。
 かくしてメアリはエリザベスの、長きにわたる獅子身中の虫となる。カトリック勢力はメアリを利用してエリザベスを追い落とそうと、幾度も陰謀を企てた。エリザベスは臣下からメアリ処刑をどんなに進言されても首を縦にふらなかった。何につけてもエリザベスの決断は遅い。優柔不断を責められようと、必ずしも即断即決が――不遇時代の経験から――良い結果をもたらさないのを知っていた。まずは先延ばし。すると運は良き方向へ進みだす。
 幽閉が20年近くになるころ、エリザベス暗殺計画にメアリ・ステュアートが関与している証拠があがり、処刑命令にサインする。
現実には二人の女王は只の一度も顔を合わせていない。幽閉後はメアリからの山ほどの手紙にエリザベスが返事を書いたこともない。会って話を聴いてほしいとの懇願には、賢明にも絶対応じなかった。
 エリザベスは病死してくれればありがたい、と思っていた。
 しかし、メアリ・ステュアートは、墓穴を掘り続けたのだ。

結婚問題

結婚を通じてイギリスを手に入れようとする王や王子たちは、自分のものになるかもしれない国を戦で荒廃させたくないので攻めてこない。エリザベスは求婚されてノーを言わなかった。イエスも言わず、のらりくらり、子どもが産めると思われている年齢ぎりぎりまで、この手を使って諸国を翻弄した。重臣たちは最初こそ強く結婚を勧めたが、そのうち未婚の女王の利点に納得させられてゆく。

 結局、エリザベスは結婚しなかった。
 大陸では、ハプスブルクとフランスが対立している。
 ハプスブルクに味方したら―――――メアリ1世の二の舞だ。
 だからと言ってフランスに加勢しても、戦争に巻き込まれるだけ。
 結婚しなければいいのだが、ハッキリ言い放つと、ハプスブルクもフランスも敵に回すことになる。
 だったら、結婚するともしないとも言わず、のらりくらりとかわし続けたのだ。

苦労人であることは同じなのだが

 ハッキリ言えば、ヘンリー八世が悪いのだが、それをいくら言っても何も始まらない。
 なぜこうも違う人生を送ることになるのだろう?

 メアリは、憎しみの感情に飲み込まれてしまったのだ。
 喜びや楽しみの感情と同様、憎しみの感情も、人間として当たり前の感情なのだ。憎悪の感情があるからと言ってダメな人間ではない。むしろ自然な人間の感情である。
 しかし、その感情をどうやって飼いならすかが、二人の明暗を分けたのだ。

 エリザベスだって品行方正な優等生ではない。

エリザベスは誰彼かまわず罵詈雑言を浴びせ、女官を叩いたりつねったり、廷臣を拳で殴ったり唾を吐きかけたりしたという。一方で高い学識を備えた読書家で、ユーモアもあった。この荒ぶる魂と鋭い知性の混じりあいが国庫を潤し、イギリスに最初の黄金期をもたらしたのかもしれない。

 ただ、感情をコントロールする術を手にしていたのだ。

「私はイギリスと結婚したのです」
 彼女の言葉にはすごみがある。

 繰り返すが、憎しみの感情は、人として当然の感情だ。
 しかし、その感情の飼いならし方を学ばなければならない。