【読書】『名画で読み解く イギリス王家12の物語』【ハノーヴァー朝あらため・・・・・】

読書読書,名画で読み解くイギリス王家12の物語,中野京子

 ヘンリー七世に始まるテューダー朝はエリザベス一世が子を為さず死去したために終焉する。
 スコットランド王ジェイムズ六世がイングランド王ジェイムズ一世として即位して始まったスチュアート朝も、アン女王をもって終焉を迎える。
 その後に続いたのは、ハノーヴァー朝。現代に続くイギリス王室である。

君臨すれども統治せず

 王女に貴賤結婚を許さず、極力、他国の王族に嫁がせようとするのは、王国維持の理に適っている。なぜなら王族同士の間に生まれた子は、継承者不足の際の大事な補欠候補になるからだ。貴賤結婚ではそうはゆかない。国民が納得しない。それが当時の身分社会の掟であった。
 という次第で、アン女王をもって終焉したステュアート王朝だが、抜かりなく張り巡らせていたセイフティ・ネットが機能する。

 イギリス王に白羽の矢が立てられたのは、ハノーヴァー選帝侯ゲオルク。理由は、
「イギリス王の血縁だから」
 1714年、ハノーヴァー選帝侯を兼任したまま、イギリス王ジョージ一世として即位する。ジョージはゲオルクの英語読み。
 イギリス王だといっても、ゲオルクは気に入らない。
 清教徒革命や名誉革命で、王といえども安泰ではない。
 議会制度も気に入らない。
 英語も分からない。
 そもそも、自分はドイツ人だと思っている。
 だったら、ハノーヴァー選帝侯のほうがまだマシだ。
王室歳費さえたっぷりもらえれば、イギリスの運命がどうなろうと構わない。故郷第一。そこで一年の大半をハノーヴァーで暮らし、イギリスには短期滞在のみ、内政は臣下にお任せして良きにはからえという、イギリス人にとっては有難いライフスタイルを貫く。「君臨すれども統治せず」のイギリス立憲君主制は、ジョージ一世の無能無関心が確立したもの、と言われるのはあながち間違いではなかろう。
 ジョージ一世の無能無関心がイギリスの立憲君主制確立に大きく貢献することになるのだから、やる気もなければ能力もない、という人が、たまには必要なのかもしれない。
 とはいっても、「イギリス王の血が流れているから」という理由だけで玉座に据えられたジョージ一世の気持ちも考えてあげなければ、不公平なのではないか?
 「血が流れている」というだけで、職業選択の自由がないのだ。やる気がないのも、仕方がないかもしれない。
 といっても、「もし、ハノーヴァー選帝侯として一生暮らせたら?」も考えておかないと、それも不公平だろう。
 まあ、ジョージ一世なら、間違いなく失敗する。
 ゲオルクは知的な母親が嫌いで、父親そっくりに育つ。軍人気質、粗暴、無教養、吝嗇、大食漢、酒を浴びては放歌高吟、田舎者丸出しで誰かれかまわず怒鳴りまくったから、宮廷に召し抱えられたライプニッツもヘンデルも早々に逃げ出したほど。その上いささか異常性も帯びていたらしく、美貌で名高い妻ゾフィア・ドロテアを虐待し、何度か実家に逃げ帰った彼女を騙して離婚を承諾したと呼び寄せ、けっきょく死ぬまで三十二年間も幽閉した。
 やる気がないのは仕方がないにしても、この異常性には目をつむれない。
 と考えると、やる気がないほうが、よかったのだ。
 無能を通り越して異常性を持った人間が、国政に口を出したら、かえって混乱するだけだ。

ヨーロッパの祖母

 ヨーロッパの王室は庶子が玉座に就くのを認めない。
 ジョージ三世の長兄ジョージ四世は庶子が山ほどいたのに正嫡がいない。次兄も、さらに次の兄も同様。
 ということで、第四王子エドワードの娘、ヴィクトリアが王冠をかぶることになる。
 ちなみに、エドワードは、ヴィクトリアの生後8カ月で病死する。
 ヴィクトリアは、小さいころから自分を利用しようとする人間に囲まれ、疑り深くなっていた。ゆえに、孤独を感じていた。
 そして、記憶にない父をかなり美化してしまったようだ。
 ということで、依存体質。
 はじめは、メルバーン。そして晩期にはブラウン。

 しかし、幸いだったのは夫になる、ザクセン・コーブルク・ゴータ公家アルバートだった。
 もともと、叔父のベルギー王レオポルト一世がを強く推薦した政略結婚。
 だったのだが、ヴィクトリアは恋に落ちる。そして、結婚。
 アルバートは政治的人間ではなかった。ゆえに、ヴィクトリアの領分、すなわち、政治の方には口を出さなかった。ちなみに、ベルギー王はアルバートを通してヴィクトリアを操縦しようと思っていたのだが、この目論見は見事に外れることになる。
 かわりに、アルバートは経済面で王室に寄与することになる。まるで、マリア・テレジアとその夫フランツ・シュテファンのように。
 さらに、学問好き、芸術好きを活かし、世界初の万国博覧会まで成功させ、イギリスの栄華を見せつける。

恋愛結婚というロマン、その結果としての理想の家庭――御伽話ではなく現実のものとして、それが国民に提示された。リットン・ストレイチー曰くの「王位と徳の結合」を、人々は女王夫妻を見て信じることができた。ヴィクトリア朝時代を決定づける、これは想像以上に大きな意味を持っている。
 ジョージ一世が正妻よりも愛人だったことは上述。息子ジョージ二世も愛人たっぷり。
 ジョージ三世は品行方正で正妃以外の女性に目もくれず、家庭を大事にするという例外的な人間だったが、子どもたちは問題児続出。庶子は山ほどいるのに、正嫡がいないことは上述。
 それと比べて、ビクトリアとアルバートを見たら?
 まさに「王位と徳の結合」だ。
 イギリスの繁栄と模範的な国王夫妻。人気が出ないはずはない。
 ヴィクトリアのあだ名の一つは「ヨーロッパの祖母」だが、それは娘たちをヨーロッパ中の王家に妃として送り込み、またヨーロッパ中の王家から息子の嫁をもらって、孫を四十人、曾孫を三十七人も持って、網の目状に血脈を拡げたことによる。正真正銘のお祖母ちゃんになったのは長女が子を産んだ時で、まだヴィクトリアは三十九歳だったからショックだったという(それはそうだ)。
 ヴィクトリアの子どもたち、孫たちは、ヨーロッパの各王室と婚姻政策で結びつく。
 王家存続のため。王室維持のため。そして平和のため。
―――――だったはずなのに。

いとこたちの戦争

 第一次世界大戦の直接のきっかけは、1914年のサラエボ事件だと、世界史の教科書にも書いてある。
 しかし、本当の、究極の、原因は何だったのか?

 十九世紀後半はイギリス、ロシア、オーストリアの三大国で世界の半分近くを支配し、絶妙なバランスで平和が保たれていたのだが、新興ドイツが猛烈な勢いで工業化と軍事化を推し進めると、新世紀には複雑な四つ巴の戦いが水面下で始まった。
 要するに、「領土」
第一次世界大戦は「いとこたちの戦争」の異名も持つ。婚姻外交を重ね、血縁関係を構築することで戦争を避けようとしてきた各国の王室だが、幾世紀もかけて血族結婚をやりくりしているうち、血縁者のいない敵国を見つけるのが難しくなるに至った。富と地位を延々独占し続けるうち、他人からの取り分は無くなり、親戚から奪うしかなくなったのだ。
 せっかくの婚姻政策も、こうなってしまっては意味がない。
 それどころか、迷惑だ。
終わってみれば、ハプスブルク、ロマノフ、オスマンの大王朝、そしてドイツ帝国(ホーエンツォレルン家)、バイエルン王国(ヴィッテルスバッハ家)、その他、弱小の君主国家は全て消滅していた(中立をとったスウェーデン、デンマーク、ノルウェーの北欧三王国は今も王室が残る)。
 第一次世界大戦で、数多くの王朝が消滅した。
 イギリスは?
 ここからがジョージ五世の苦渋の決断となる。もはや民意を無視して王室が生き残れる時代ではない。開戦まもなく、王は親から引き継いだサクス・コバーグ・ゴータを捨て、今後はウィンザーを家名として使用すると発表した。ロンドン郊外の、王家の別邸として使われているウィンザー城の名を取ったのだ。これによりジョージ五世は、王室が国民と近しいこと、ナショナリズムの側に立っていることを、大々的に知らしめた。
 ヴィクトリア女王の息子エドワード七世は、父アルバートの故郷ザクセン・コーブルク・ゴータを英語読みした「サクス・コバーグ・ゴーダ」と王朝名を変えていた。
 しかし、ハノーヴァーであろうと、サクス・コバーグ・ゴーダであっても、どちらも敵方ドイツとすぐに分かる。
 民意をくみ取り、王室からドイツ色を一掃する。
 無表情で黙々と仕事をこなし、地味で目立たないジョージ五世ではあったが、国民感情に配慮して王室の危機を切り抜けた手腕はもっと評価されてもいいだろう。
 かくして、新ウインザー家は生き延びることに成功した。
 その王室は現代にも続く。