【読書】『愛と欲望の三国志』【歴史とはおもしろいものなのです】
「ごめんなさい」
と思いながら読んでしまったのは、ぼくも『三国志』は好きだったのですが、そこまで勉強しなかったからだ。
というか、そこまでのめり込んだモノあったかなあ。
と考えると、あまり自慢できるモノはないなとか、あっちこっちよそ見してしまったなとか、なんとか。。。。。
言い訳ですけど、勉強すればいいんですよ。学習すればいいんですよ。
キッカケなんて、なんでもいいんですよ。雑学でも、豆知識でも、なんでもいいんすよ。
・江戸時代には数多くの大衆娯楽が生まれる
・特定の政治性・思想性をまとうようになったら注意が必要
三国志大好き
箱崎さんはNHKの『人形劇三国志』を見て、三国志にハマりました。
高校時代は全校生徒に向けてペープサート(紙人形劇)を放映。大学の卒論も三国志。そして、本を出版。
本当に好きだったんだな。しかも、半端ないバイタリティ。
そこまで好きだったのか。
ここで、『爆笑三国志』からゲーム「三國志」の生みの親・シブサワ・コウさんのメッセージを引用しているので、引用します。
歴史はおもしろいものです。それでも、歴史は学校の授業でいやいや勉強するものだと思っている人もたくさんいます。僕も同意します。
わたしは言いたい。学校でかしこまって学ぶだけが歴史じゃない。ゲームをやったり、時代小説を読んだりいろいろな歴史の楽しみ方があるんだ、と。
(略)少しでも多くの人に三国志を好きになってもらいたい。それがわたしの正直な気持ちです。
マンガ「日本の歴史」を読んでいれば、中学校ぐらいまでの歴史の授業はどうにかなるんですよ。これでも、結構いい点とってましたよ。
欠点は「〇〇年」がまったく分からない。
光栄の「大航海時代」をやっていれば、地理に詳しくなるんですよ。
「グァテマラってどこ?」
「この辺」
と答えられますよ。ググらないで。
欠点は、内陸部がまったく分からない。
「勉強しなさい」
と叱るぐらいだったら、面白そうなマンガの本を買ってくるとか、豆知識が仕入れられるゲームを買ってくるとか。
そうやって、そそのかす方が親子関係が良好なものになるのではないか、と思うのですが、どうでしょう?
三国志に話を戻す。
箱崎さんも三国志が大好きでしたが、日本人も昔から三国志が大好きでした。
ロシアを知りたい人はドストエフスキーを、ドイツを知りたい人はゲーテを、フランスならカミュやデュマを読むように、(中略)日本では昔から「中国について知りたいなら、三国志を読みなさい!」と言われてきたのです。インターネットもなければ、海外旅行もおいそれと行くことができなかった時代。小難しい文献あさりながら海外文化を理解する・・・・・自分が嫌なものを他人に強制するのはいかがなものかと。
しかし、文学作品だったら?
文化交流とか、価値観の多様性とかを、難しく考えないで、ゲラゲラ笑いながら行う方法を、日本人は考えついていたのです。
江戸時代の三国志
いろいろすっ飛ばして、江戸時代。
大衆文化に広く深く浸透し、パロディが大量登場します。
歌舞伎、浄瑠璃、講釈、川柳、絵画、俳句、細工見世物・・・・・
次にご紹介する『傾城三国志』は、男女逆転「三国志」。主要な登場人物が皆、女性に変わっています!(今も昔も、日本人の考える〝遊び〟は変わりませんね)なんのスマホアプリだかスッカリ忘れてしまいましたが、
「美少女戦国武将(カード)を手に入れろ!」
と書いてあったのですが―――――いや、戦国武将、男だし。。。。
おっしゃる通り、今も昔も、考える”パロディ”は変わらないですねぇ。
こうした種々の書籍類の中で、一番の大作が、『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴作、一八一四~一八四二年、文化十一~天保十三年)。物語自体は、『水滸伝』を大枠にしていますが、関東大決戦は、赤壁の戦いがモチーフになっており、江戸湾を長江、犬士たち里見軍を孫権・劉備軍に、公方・管領軍を曹操軍に見立てています。元ネタの「三国志」を知っていないと、何のパロディか分からない。
パロディばかりではなく、時代考証も行っています。
さらに、「『三国志演義』では孔明が風を祈ったというが、風向きが変わったのは偶然だろう」とか、『三国志演義』で孔明の事跡になっている「敵に矢を借る話」と「空城計」は、史書によれば、唐の張巡の故事と、漢中での趙雲の事跡だと、考証まで交えているのです。曲亭馬琴の「三国志」愛の強さを感じませんか?江戸時代も現在同様、遊び人も、まじめな人も、三国志が大好きだったのです。
というより、パロディを作ってみたり、時代考証しみてみたり、と現代日本と同じようなことをしているということは、江戸時代も平和を謳歌していたのでしょう。
明治から戦前の三国志
それが明治になると一変します。
明治時代は、明治維新を経て、富国強兵、列強に肩を並べるべく邁進した時代でした。ここでスポットライトが当たるのは、諸葛亮(孔明)です。明治時代から戦前にかけて、日本の「三国志」は、孔明の独擅場と言っても過言ではありません。「孔明独壇場」になってしまった理由として、
江戸時代、主に娯楽の一つとして消費された「三国志」にまつわる文物ですが、明治時代は、孔明を特別な英雄にしていきます。
①三国志のメインキャラクターであること
②志半ばで没するところは、判官贔屓の日本人の感性に響くこと
③明治という時代の空気
④孔明の生涯が教育的、啓蒙的に見えること
の四つを挙げています。
『三国志演義』で「三絶」と言われたのは、「義絶」関羽・「奸絶」曹操・「智絶」孔明。
しかし、関羽は武の人で、しかも、外交的失敗から荊州を失っています。
今では曹操の再評価が進んでいますが、若いころの「やんちゃ」は教育上、好ましくありません。これは今でも変わらないけど。
これ以上挙げると、キリがなくなるし、長くなるのでやめますが、少なくとも「三絶」のなかでは孔明は打ってつけの人材。
諸葛孔明が、優れた人であることは事実です。
蜀の内政を整えた手腕は、同時代の蜀の遺民からも、遺臣もからも、絶大な信頼を寄せられています。
太平の世なら優秀な行政官として歴史に名を刻んだことでしょう。
欧米に負けるな、追いつき追い越せ。近代化に突き進んでいく明治政府のプロパガンダ(政治的宣伝)に、孔明はうってつけの人物でした。
しかし、その方向が「近代化」であればよかったのですが、「軍国主義」の方向に向かうのは好ましくありません。
現代では、その柔軟性が思う存分発揮されて、平和を謳歌した江戸時代のように、時代に合わせた娯楽として、自由な発想で新たな作品がどんどん生まれています。平和な時代の「三国志」は、娯楽に大きく振れるようです。ここから「三国志」が、特定の意味付けや、政治性・思想性を色濃く纏うようになったら、注意が必要かもしれません。「三国志」に限らないことなのですが、歴史上の人物や出来事を「プロパガンダ」として悪用する人間は数多くいます。
悪用する人間が悪いのはわかっていますが、私たちもそれに巻き込まれないような対策をしておかなければなりません。
といっても結局、勉強するしかないのですが、どうせ勉強するなら、楽しく勉強しましょう。
そして、その方法は「三国志」にたっぷり詰まっています。
まとめ
- 日本人は昔から三国志が大好き
- 江戸時代には数多くの大衆娯楽が生まれる
- 特定の政治性・思想性をまとうようになったら注意が必要