【読書】『「知的野蛮人」になるための本棚』【「順応の気構え」ではなく「自分の頭で考える」】

読書読書,「知的野蛮人」になるための本棚,佐藤優

「ずいぶんいろんな本を読んでいるな」
が最大の感想。
 政治、経済、歴史、哲学から、ビール、ソバにいたって、恋愛、不倫、フーゾクにまで行くとは思わなかった。

 ドイツの社会主義者ユルゲン・ハバーマスが唱える「順応の気構え」という言葉。

理解できないことが生じた時に「誰かが説得してくれる」と無意識のうちに思って、自分の頭で考えることをやめてしまうのが「順応の気構え」だ。
 無意識のうちに「順応」してしまって、自分の頭で考えることをやめてしまう。そして、自分が野蛮人であることにすら気づかなくなってしまう。
 ドイツにアドルフ・ヒトラーが出てきた要因のひとつも、ドイツ人が「順応の気構え」を持つようになってしまったから。
 ドイツや、アドルフ・ヒトラーと他人事にすることはできない。我が事と考えないと、思い当たる節は多々あるだろう。
 よく言われることなのですが、
 ひとりの人間の能力や経験には限界がある。この限界を突破するためには、他人の知識や経験から学ぶことが重要である。
 そんなことはわかっているんですけどね。
 しかし、「順応の気構え」を避け、自分の頭で考えるためには、勉強し続けなければならない。それには読書が最適。
 なんですけど、多分野にわたりすぎなのでは?

 「第三章 世界情勢がわかる書棚」を読んでいると、ずいぶん生き生きとしてくるな、と感じる。やはり「元外交官」。仕事が好きだったんだろうな。
 新自由主義の欠陥、アメリカの思想、イスラム原理主義と中近東、ロシア人、北朝鮮、ミャンマー、南アフリカと等々。

 歴史は、原始共産制―奴隷制―封建制―資本主義―社会主義という方向で発展するという唯物史観から離れなくてはならない。
 マキアヴェッリは『ディスコルシ』のなかで述べている、人間の作り上げた政体のなかで最も優秀なものは、君主政、貴族政、民主政であり、もっとも愚かなものは、僭主政、寡頭政、衆愚政である、と。
政体には君主政、貴族政、民主政と呼ばれる三通りの種類があって、都市を建設しようとする人は、自分の目的に一番適うように思われるものを、これらの中から選ぶべきだ、ということを指摘しておこう。『ディスコルシ』
このうちのよき政体というのは、上述の三つをいうのであり、有害な政体とは、この三つのよき政体がそれぞれ堕落してできた三つのものである。
 したがって悪しき三つのものは、その母体によく似ている。ゆえに、一方から別のものへと型を変えるのは大変簡単である。すなわち君主政は容易に僭主政へ、貴族政は簡単に寡頭政へ、民主政はたちまち衆愚政へと姿を変えてしまうものである。だから、たとえ立法者が、自分が基礎をおいた国家に、三つの政体のうち一つを与えても、その政体を維持できるのはつかの間のことなのである。その理由は、どんな手を打っても、政体が悪い形に急変していくのを、とても食い止められないからだ。それほど政体においては、善と悪とは似かよったものなのである。『ディスコルシ』

 すなわち、政体のいかんにかかわらずどちらの面が強く出るか、だと、
 そう考えると、「民主主義」と「自由主義」と「資本主義」の組み合わせが正解である、とは言えなくなる。
 「それって民主主義?」と言いたくもなるような事件は、一つや二つではないだろう。
 「革命を起こせ」と言っているわけではない。
 われわれも、民主政が衆愚政にならないように、注意、警戒し、対策を怠らないことである。
 そして、それぞれの国でどれか好ましい政体なのかが分からない以上、こちらの主張を押し付けないこと。
 結局、「順応の気構え」ではなく、大量の情報を仕入れ、多くの意見に触れ、そして自分の頭で考えること―――――
 自分の国の人間でも主義主張が違う、ということもあるのに、ましてや他国の人となるとどうやって理解すればいいか?
 人間のことを知るのに、歴史や哲学だけで分かるわけがない。衣食住も知らなければならないし、欲望も理解しておかなければならない―――――だからといって、ビール、ソバはまだしも、恋愛、不倫、フーゾクまで必要なのか。
 いや。必要かもしれない。こちらの主張を押し付けないで、相互理解が必要なのは―――――恋愛も外交も同じだ―――――要するに、人間関係の基本。
 他者に対する「思いやり」と、人間が本能として持つ「欲望」と、それを制御する「理性」。

 「選書の技法」として、10倍買うこと。その中に2冊いいものがある。20冊選ぶなら200冊買わなければならない。
 電子書籍より紙の本をおススメしている。ギクリとする。
 「こんな本買うんじゃなかった」という本も、1冊や2冊ではないはずだ。
 それが、紙の本だと捨てられるんですよ。古本だと金銭負担もかからないので、心理的負担はさらに少なくなる。
 ちなみに、電子書籍だといつまで経っても残っているんですよね。購入済みリストに。諦めてはいるのだが、しまったという思い出がよみがえる。
 ある特定の分野を絞り込むことと、その周辺の分野を絞り込むこと。そうして、多ジャンルの本を読んでいくと「これは、理屈が崩れている」という変なものにピンとくる。これも思い当たるフシがある。
 「受け売り」で構わない。「受け売り」は100%の繰り返しにならない。何らかの付加価値がつくか、どこか割り引くか。それが「解釈」になる。
 要約をつくるのは時間がかかる。抜粋をつくること。
 100%のオリジナルな思想などは妄想。「自分の考えを思いつかないのか」でガッカリする必要はない。それよりも、正確に把握すること。
 そして、1日60分は読むこと。「質」か「量」かの問題よりも、自分自身のレベルを挙げなければならない。それにはある程度の「量」が必要だ。