【君主論】軽蔑されるな。憎悪されるな。
『君主論』第一九章は「軽蔑と憎悪とを避けるべきである」
君主は人々の憎悪や軽蔑を招くことを避けるようにしなければならない。
解説
憎悪を招く行動
それはズバリ、「臣民の財産や婦女子を奪う」ことです。
一般大衆は財産や名誉を奪われない限り満足して生活し、したがって君主は少数者の野心とだけ戦う必要があるにすぎず、この野心を抑圧する手段は数多くあり容易である。婦女子を奪うは論外なので省略。
臣民の財産を奪わないためには、ケチになればいい。
参照:【君主論】気前が良いより「けち」になれ【憎悪されるよりはマシ】
軽蔑される行動
無節操、軽薄、軟弱、臆病、優柔不断という評判をとる場合。
君主は、偉大さ、勇気、威厳、堅忍不抜さが現れるようにしなければならないのです。
参照:【君主論】偽善者のススメ
陰謀について
臣民から憎悪されず、自前の軍隊を持ち、信頼できる同盟もできていれば、残る不安は「陰謀」のみ。
これに対するマキアヴェッリの答えをピックアップします。
外患がない場合には、臣民が秘かに陰謀をめぐらすのを避けなければならない。
君主が陰謀に対して持っている最も強力な対応策の一つは人々によって憎まれないことである。それというのも陰謀をめぐらす人間は人々が君主の死を喜ぶと考えるものだからである。
君主の殺害が民衆を怒らせるものであることを知るやあえてかかる手段をとる勇気は消え失せることになる。経験によると実に多くの陰謀が企てられたが、しかし成功したものは少なかった。
陰謀を企てる者も一人ではできず、かつ、不平を抱いていると思われる者の中からのみ、仲間を獲得することができるからである。
要するに陰謀を企てる側には必ずや恐怖、猜疑心、処罰の心配があり、彼らはびくびくしている。他方君主の側には君主の尊厳、法、味方や権力者の庇護があり、彼を守ってくれる。しかもその上に民衆の君主の対する好意が加わるならば、陰謀を企てるような無謀な人間はありえない。したがって、結論。
君主は民衆が彼に好意を持っている場合、陰謀をあまり気にする必要はないというのが私の結論である。
陰謀の「例外」
現実主義者が失敗するのは、そこで注意すべきは、頑固な人間が考え抜いて実行するこうした殺害は、君主にとって避けることはできないということである。何故ならば、自らの死を恐れない人間は誰でも彼に危害を加えることができるからである。しかしながら、そのような人間は極めて稀であるから、君主はそんなに恐れるには及ばない。唯一注意すべきなのは、自分に仕えている者や君主権のために奉仕している者に対して重大な危害を加えないようにすることである。
「まさかそんなバカなことをするはずがないだろう」
と思った時だ、と言ったのはマキアヴェッリだったと思うが、間違っているかもしれません。
誰が言ったかどうかはともかく、自らの死を恐れない人間を想定していたら、キリがありません。
それに、特に悪政を行っておらず、民衆から憎まれてもいない君主を排除したからといって、じゃあ自分が君主に
・・・・・となるかどうかはその人次第。
それで成功する人間がいるのなら早めに手を打てますが。
成功するかどうかも分からず、後先も考えず、ましてや自分の死を恐れてもいない―――――そんなことまで?
極めて可能性の少ない「例外」です。
例外:フランスの高等法院
『韓非子』は「信賞必罰論」を展開し、「賞と罰は二つの重要な武器だ」として、君主は絶対に手放すな、と主張しています。
ところが、マキアヴェッリは『君主論』第一九章でこのように言っています。
君主は非難を招くような事柄は他人に行わせ、恩恵を施すようなことは自ら行うということである。『韓非子』=マキアヴェッリ、ではないのですが。
これは当時のフランスの特殊事情によるもの。貴族の力が強すぎてしまったからなのです。
民衆を愛することによって貴族たちから受ける非難と貴族を愛することによって民衆から受ける非難を王から遠ざけるために、第三の法院を設け、王が非難されることなしに貴族を弾圧し、小身のものを愛するようにしたのである。貴族弾圧策の一環。
君主は貴族を重んじなければならないが、民衆によって憎悪されてならない。この例外から言いたかったのも、「民衆から憎悪されてはならない」ことです。
例外:ローマ皇帝と兵士
ローマの皇帝は兵士たちの残虐さと貪欲に直面しなければならないという、第三の困難を抱えていた点である。
兵士と民衆の双方を満足させることは難しかった。何故ならば、民衆は平和を好み、そのため穏健な君主を好んだのに対し、兵士たちは好戦的で傲慢、残虐、強欲な君主を好んだからである。ここだけ読むと、
「ローマ時代の兵士たちは残虐だったのでは?」
と思ってしまいます。
塩野七生さんによれば、
「ローマ時代の兵士たちは失業対策も兼ねていた」
という説を立てています。
パクス・ロマーナを確立し、地中海を「内海」として利用できるようになると、今でいう「国際分業制」が成り立った。
地中海世界では「主食」の小麦をエジプトやシチリアからの輸入に頼った結果、イタリア半島の農業が衰退。
「食」と「職」に困った失業者達を「兵士」として雇用し、国境の前線に送り出し、植民させたというものです。
そう考えてみると、ローマの、皇帝と兵士と民衆は「特殊」な関係にあったと言えるでしょう。
民衆であれ兵士であれ貴族であれ、支配権を保つために必要だと考える臣下が腐敗している場合、彼らを満足させ彼らの傾向に順応しなければならず、善き行いは災いをなすことになるからである。こういってしまうと、ローマの兵士たちは「あんまりだ」と思いますが。。。。。
君主は誰にも憎まれないということができないものであるが、何よりもまず臣下全体から憎まれないようにすべきであり、これができないとすれば、臣下の中でより有力な人びとの憎悪を避けるよう、全力をあげて努力しなければならない。これは仕方のない処世術。
「全体から憎まれる」よりは、「一部から憎まれる」方がマシ。
憎悪は悪い行いからも良き行いからも発生するということに注意しなければならない。これはマキアヴェッリの指摘する、人間の複雑さでしょう。
私の考えでは、現在の君主たちは自国の兵士を非常に満足させるためにこうした困難に遭遇することは少ない。
ローマの軍隊のようにその地域の統治と行政を一体化した軍隊をそもそも持っていないために、問題は速やかに解決されることになる。ローマにおいては兵士が民衆よりも強力であったため、民衆よりも兵士を満足させることが必要であった。ローマ皇帝と兵士の事実は、「例外」として考えましょう。