【君主論】自分の身は自分で守れ【反面教師はイタリアの君主たち】
『君主論』第二四章は「イタリアの君主達はどうして支配権を失ったのか」である。
長年にわたって支配者の地位にあったイタリアの君主達はその地位を失ったからといって運命を責めるべきではなく、自らの無気力をこそ責めるべきである。「マキアヴェッリもずいぶん手厳しいこと言うなぁ」
と思わないように。
「そりゃそうだ」
と思って、彼らを「反面教師」にし、自分を戒めよう。
要するに「怠慢」
”穏やかな日に暴風雨のことを全く考えないのは人間に共通の欠点である”といわれると、ギクッとする。平穏な時には事態の変転を決して考えることなく(穏やかな日に暴風雨のことを全く考えないのは人間に共通の欠点である)、その後逆境が訪れると逃亡のみを考えて自ら防衛することを考えず、民衆が勝利者の傲慢ぶりに厭気がさし、彼らを呼び戻してくれるのを期待していたからである。
時代は変わるもの。事態は変転するもの。
嵐を防ぐことはできないが、嵐に備えて準備することはできる。
天気の良い日のほうが、準備もはかどるだろう。
―――――イタリアの君主たちは違ったのだ。
平穏な時に何もしない。
逆境が訪れたら逃げる。
誰かが自分を支配者に戻してくれるのを期待する。
誰か助け起こしてくれる人があると信じて自ら倒れるようなものである。災害に遭って困っている人ならいざ知らず。
君主である。
誰がそんなリーダーを助け起こそうとするだろう?
普段から準備・努力・警戒すること
伝統的な君主、新君主、複合的君主つまり獲得した征服地、いずれの場合も方針・戦略は同じである。
人間は過去の事柄よりも現前の事柄によって心を奪われ、現在の状態が好ましいとわかるとそれを享受してそれ以外のものを望みはしないものである。その上君主が自ら他に過ちを犯さない限り、彼等は彼を守るためあらゆる労苦を引き受けるであろう。「正しい政治」を行ってくれる君主なら、わざわざ変わってくれとは思わない。
具体的には、
- 良き法
- 自前の軍事力(傭兵と援軍ではない)
- 良き同盟国
- 良い実例
- 民衆を味方につけること
- 貴族を満足させるか、抑えつけるか
である。
それぞれを詳述すると、「『君主論』読み直してね」というしかないのだが、ようするに、「普段から準備・努力・警戒すること」である。
危なっかしいことや、わざわざそんなことぶちまけなくても、と思うことはあるのだが、マキアヴェッリはそこまで妙なことは言っていない。
自分の身は自分で守れ
自力によらない防衛は危ないものだからである。
この防衛は自己自身とその実力に基づく場合のみ好ましく、確固としており、永続的である。繰り返すが、”誰か助け起こしてくれる人があると信じて自ら倒れるような”君主を、だれが支持するだろうか。
普段から準備・努力・警戒を怠ることないように。
嵐を防ぐことはできないが、嵐に備えて準備することはできるのだ。
それをやらなかったから、マキアヴェッリの時代のイタリアの君主たちは支配権を失った。
運命が原因ではない。
怠慢が原因。
イタリアの時代の君主たちは、反面教師にしよう。