【読書】『不倫』【「不倫」も「バッシング」もなくならない】

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 不倫が発覚すると、有名人はマスコミやネットで容赦なくバッシングされる。知名度がない人でも、社会的信用も失う。家庭崩壊のリスクもある。経済的損失も大きい。
 失うものが大きいのにもかかわらず、次から次へと発覚し、しかも減る気配もない。
 それはなぜなのか?

 結論から言うと、人類社会において「不倫」がなくなることはない。それは、人間の脳の仕組みが「一夫一婦制」に向ているわけではないから。
 近年の脳科学の進歩によって、性行動に大きく影響を与える遺伝子や脳内物質の存在が明らかになってきた。
 「人類の脳は一夫一婦制には向ているわけではない」という研究成果は、不倫に走る人々を安直に断罪することは、物事の本質を見誤らせる元凶にもなる。

 とはいっても、不倫に対する「バッシング」もなくなることもない。
 人類は社会的動物で、共同体を維持する必要がある。そして、共同体は構成員が一定の協力をすることで維持されている。
 しかし、協調性のない「フリーライダー」が存在する以上、検出し、排除(制裁)しなければ、共同体は維持できない。
 「不倫」は「家庭や社会におけるフリーライダーである」という見方をすれば、不倫カップルを叩きのめそうとするのは「正義の行動」だと解釈される。

人々が偏執的なまでにフリーライダーを見つけ出そうとし、見つけるやいなや狂喜乱舞してバッシング祭りが始まるように見えるのは、理由のないことではないのです。冷静に考えれば滑稽であっても、不倫そのものと同様、不倫バッシングもまた、なくなることはないのです。

人類は一夫一婦制に向いていない

 単純に「子孫を多く残したほうが勝者である」というのが生存競争のルールであれば、生き残ってきた種は最適な戦略を選択しただけにすぎない。
 プレーリーハタネズミは一夫一婦制を生涯守り続けるのだが、一夫一婦制を選択している哺乳類は、全体で3~5%しかいないと言われている。
 オスとメスの体重差から考えると、一夫多妻制の生物はオスの方が体が大きい傾向にある。逆に、多夫一妻制の生物はメスの方が体が大きい傾向にある。この傾向からいえば、人類は「わずかばかりの一夫一婦制」といえる。
 そうはいっても、一夫一婦型ではない乱婚型の霊長類でも、オスの身体が特別大きいわけではない。

 人類の歴史を振り返ると、一夫一婦制以外の婚姻形態が存在していた。
 社会階層の高い権力者は、一夫多妻制が推奨されてきた時代もある。現代でも一夫多妻制が容認されている国や社会もある。
 現代日本も厳密な意味では一夫一婦制ではない。離婚届を出し、婚姻届けを出せば、一夫多妻制も、多夫一妻制も認められている。「タイムラグ式一夫多妻制」と呼ぶ識者もいる。

 カナダのウォータールー大学のクリス・バウフ教授らの研究チームは、人口統計学と疾患伝播の数理モデルから「人類の祖先は狩猟採集生活をしていた頃は一夫多妻だったが、農耕を始めて集団定住するようになった後、性感染症の大流行に見舞われた。そのため、同じ相手と一生添い遂げる方が、公衆衛生的な観点から集団の維持に有利になり、一夫一婦制が定着するようになった」と推測している。
 つまり、一夫一婦制は農耕を始めてから”後付け”で付与された倫理観だと推測される。

 現代の「恋愛・結婚・生殖を三位一体の不可分」とする考えは、社会学者などから「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」と呼ばれている。
 この考えは、まさしく「イデオロギー」にすぎない。生殖のためには、恋愛と結婚は必須ではないからだ。
 結婚と生殖のバランスは、今でも国や民族によって大きく違う。恋愛には恋愛特有の価値があるとする考えも珍しいものではない。
 日本社会は「恋愛・結婚・生殖を三位一体の不可分」をあまりにも一般的なあるべき姿として、社会全体に認知させてしまった。それが失敗した結果が、少子化だと指摘する識者もいる。

 フランスでは婚外子への差別をなくすくことによって、出生率を高めることに成功した。この割合はフランス以外の西欧諸国で増えている。
 背景には「恋愛・結婚・生殖は一体のものである」という考えを絶対のものとみなしていないことがある。ゆえに、過剰な不倫バッシングも起きていない。
 北欧諸国では、子育ての労力や資金は個人が全面的に負担するのではなく、社会全体で担うような制度設計を選択した。子育ての環境が変わったので、婚姻形態も変化している。シングルマザー、シングルファーザーを含めて、一夫一婦制ではない家庭が増えている。
 フランスや北欧諸国を見れば、政治の役割、社会制度の変更で、少子化対策も子育ても、対応できるはずである。

脳内物質・愛着理論

 2015年3月オーストラリア・クイーンズランド大学の心理学教授ブレンダン・ジャーシュの調査で、ある特定の遺伝子が「不倫遺伝子」であるという可能性が浮上してきた。
 1993年『ネイチャーに掲載された実験結果によると、脳内ホルモンの一種である「バソプレシン」という物質の活性が、哺乳類の一夫一婦型の性的振る舞いに関与していると発表された。
 プレーリーハタネズミとサンガクハタネズミの実験では、脳内に放出される「アルギニンパソブレシン」の「量」よりも、それに対する「感受性」の違いが、一夫一婦と乱婚の違いを生み出していることが分かった。
 しかし、「不倫型」といっても、男性の場合、不倫率だけでなく、離婚率と未婚率も上がる。女性の場合は不倫率が上がるが、離婚率と未婚率はさほどでもないようだ。この差は、離婚による社会コストの性差によるものと考えられる。
 離婚率や未婚率を考慮に入れれば、「本質的に一夫一婦制の結婚には向ていないタイプ」と表現したほうが正確なのかもしれない。
 不倫型には男女を問わず「パートナーへの不満度」が高くなる。また、恋愛ばかりではなく一般的な振る舞いも「他者に対する親切行動」の頻度も低いという特徴がある。つまり、利己的であるということ。
 不倫型と貞淑型の割合は、研究者によってばらつきがあるが、おおよそ2人に1人と考えられる。
 私たちは「もともと一夫一婦制の結婚には向いていないタイプが人口の半数程度いる」という事実を受け止めたうえで、物事を考えなければならない。

 愛着理論によれば、「安定型」「回避型(拒絶型)」「不安型」の3つがある。
 「安定型」は文字通り、他者とのフランクな関係の構築が得意な傾向にある。「回避型」は他者と深い関係を築くことに及び腰になる傾向。「不安型」は他者に対する過度の期待から依存やその裏返しの失望、喪失の危機感を抱く傾向にある
 愛着スタイルのタイプを形成する大きな要因は、「乳幼児期に特定の人物との愛着形成を築けるか」だとされている。
 乳幼児期に特定の養育者と深い愛着形成ができるかどうかで、オキシトン受容体の数も決まってくる。遺伝子の上にはスイッチがあり、後天的にスイッチがオンになったりオフになったりする。

 愛着スタイルは、その人の対人関係を左右するので、恋愛にも性行動にもかかわってくる。
 安定型は一夫一婦制を選択すると考えられている。
 回避型は、他者に興味がないか、他者を自分のための道具として使いたいという傾向がある。征服や支配欲の自己愛型願望に突き進んで乱交に走ることもある。
 不安型は、誰かがそばにいてくれないと不安になる。本当に愛してるかどうかは別として、そばにいてくれる人がいれば、常にしがみつく。
 愛着スタイルは、一度決まったからといって、一生変わらないわけではない。回避型でも不安型でも、安定型の人と親交を深めれば安定していくと考えられている。

 以上の研究結果が示していることは「生まれつき一夫一婦制の結婚には向かない人がいる」という厳然たる科学的事実である。
 遺伝子の塩基配列は、数世代で急速に変化することはない。長い時間をかけてゆっくりと変化していく。
 私たちが持っている不倫遺伝子は、その名残であると考えられる。
 一方で、私たちの倫理的価値観は、宗教的観念の発達によって、わずか数百年の期間で急速に変化してきた。
 不倫をする人が絶えないのは、私たちが祖先から継承してきた遺伝子が、少しでも効率よく自分たちを繁殖させようと、私たちを駆り立てているからにすぎない。
 ただ、今日的な倫理感からみるとアウトな性行動になってしまう。

「不倫バッシング」の理由

 最近の日本では、不倫は過剰なまでにメディアで取り上げられ、バッシングの対象になっている。
 しかし、冷静に考えれば、他人の不倫はあくまで「他人の恋愛」にすぎない。つまり、周囲の人間は、完全に部外者である。
 また、現在の日本では、不倫は「非道徳的行為」であっても「犯罪」ではない。
 不倫バッシングの本質は倫理観や教育ではなく、”トクしている人間”に対する社会的制裁、と考えられる。

 人間は社会的生物である。共同体の中において、その構成員は役割を分担し、応分のコストを分担し、決められたルールを守って生活している。その見返りに、共同体からリターンを受け取っている。
 しかし、中にはコストを負担せず、ルールを順守せず、リターンだけを得ようとする「フリーライダー」が存在する。
 共同体の中に、フリーライダーがトクをする状態を放置してしまうと、真面目な人ほど損をする状態になる。
 利己的な行動は、短期的には個人の快楽をもたらす。しかし、共同体の協力構造を蝕むため、長期的には共同体のデメリットになる。
 フリーライダーを放置しておくと、将来的な大きな損害となる可能性がある。ゆえに、フリーライダーにコストを負担させ、ルールを順守させて、規律を維持しなければならない。ルール順守を迫る行動を、サンクション(制裁行動)と呼ぶ。
 フリーライダーに対するサンクションは「自分のため」というよりも「集団を守るため」に行われるという点では、利他的な振る舞いのひとつといえる。
 サンクションは時として行き過ぎることがある。「他人に思いやりがある」ことと、「和を乱す人を叩くこと」は、表裏一体であるといえる。
 「恋愛・結婚・生殖を三位一体」を絶対の価値観を考えると、不倫カップルは「恋愛」だけを楽しんでいる「フリーライダー」だと思われてしまう。

 オキシトンは、恋人や親子を結びつけ、不安を減らして愛着をもたらす作用がある。しかし、妬みの感情も高まる。ある個人が愛着を抱く対象と競合する存在に妬みは、攻撃も誘発させる。
 オキシトンは「内集団バイアス」(内集団びいき)、「外集団同質性バイアス」(外集団均質性効果)を高める。実際には優劣の差がない場合でも、そう判断してしまうので「バイアス」と呼ばれている。
 「内集団バイアス」とは、自分が所属してる集団(内集団)のメンバーは、自分が所属していない集団(外集団)のメンバーに比べて、人格や能力が優れている、と思い込んでしまう認知の歪み。
 「外集団同質性バイアス」とは、自分が所属している集団は、外集団よりも多様性の富んでいる、と思い込んでしまう認知の歪み。
 オキシトンは「向社会性」を高める。「向社会性」そのものは、自分の所属する共同体のために役立つことをしたい、というポジティブな感情である。
 しかし、オキシトンは、人間の認知能力の”客観性”を高めるわけではないことを、警戒しなければならない。
 オキシトンは「向社会性」をもたらすが、「内集団バイアス」と「外集団同質性バイアス」ももたらす。

 セロトニンは心身の安定、心の安らぎに関わり、怒りや不安などの感情を抑制する伝達物質。セロトニン神経細胞の一部には、オキシトンの受容体がある。
 東アジアの人々は、セロトニンをリサイクルして使いまわす「セロトニントランスポーター」の効率が低い。つまり、リスクに関して敏感になる。
 セロトニンが恒常的に不足している場合、安心感を得るためにオキシトンを利用する。また、ストレスを解消するためにオキシトンに頼る。
 オキシトンに頼った結果、「内集団バイアス」「外集団同質性バイアス」が高まる。
 すなわち、「ストレス解消」と「排外感情の盛り上がり」がリンクしている可能性がある。
 ウチとソトを分け、ソトを攻撃してくれる政治家が現れると、リソースの貧しい環境におかれた人ほどコロッと転びやすい。
 排外主義は、集団内部の人からすれば自分に利益をもたらしてくれる行動に見える。自分の集団に利益をもたらすために外部を攻撃している、と見える。
 オキシトンの作用によって排外感情が盛り上がっている共同体では、フリーライダーの存在が発覚した場合、過剰にそれを叩くということが予想される。
 つまり、不倫が発覚した場合、それを執拗に叩くのは「ストレス解消」のためでもある。

 ドーパミンが減りやすい人は、自分で物事を決定することに快楽を覚えるタイプではない。そのため、他人から指示されたルールに疑問を抱いたとしても、とりあえず従う。つまり、同調圧力に従いやすい。
 ドーパミンが残りやすい人は、自分で物事を決定することに快楽を覚える。ルールに疑問を抱くと、積極的にルールを変えていく。こちらは、同調圧力に従わない。
 日本を含む東アジアの人々のうち、70%以上はドーパミンが減りやすい遺伝子を持つ。
 遺伝子の差を見ると、日本人は他人の指示になびきやすく、同調圧力が高いのかもしれない。
 世界的に見ると、なぜかヨーロッパだけドーパミンが残りやすい遺伝子を持つ人々が多数派になり、ドーパミンが減りやすい遺伝子を持つ人々は、40%以下。

 第2次大戦後、急速に豊かになった。その一方で、遺伝子の変化はゆるやかなため、社会変化の速さについていけない、過渡期ならではの現象なのかもしれない。
 不倫はなくならない。不倫バッシングもなくならない。
 私たちが人類として有性生殖を続ける限り、この構造は続く。

「不倫」も「バッシング」もなくならない

 そもそも、人間は生殖だけを目的として生きているわけではない。もっと様々なパートナーシップを許容してもいいはずだ。
 不倫バッシングが盛り上がる中、「夫婦の形は人それぞれ違う」という当たり前のことが見過ごされている。
 自分と相手との関係を満足度の高いものにするためには、人それぞれ異なっていて当然である。それは、社会的通念がどうとかいう問題ではなく、当事者同士の問題である。
 それが無視されて、不倫バッシングだけが激しくなっている。
 さらに多様化を推し進め、他者の振る舞いに寛容になったほうが、結果として多くの人が生きやすい社会になるのではないか。
 もし、「恋愛、結婚、生殖が三位一体で不可欠のもの」であれば、同じ神経伝達物質が分泌されるか、あるいは各物質の作用の間に何らかの関係性があるはずである。しかし、人類はそのように進化してこなかった。
 恋愛・結婚・生殖が絡み合うことでもたらされる矛盾は、人間だれしも抱えていること。そして、多様な役割があり、多様な側面にこたえることが難しいケースは、現実的に避けがたい。
 それぞれの基準に合わせて自分の姿を変えなければならないことに、人間の難しさがある。

 とはいっても、「不倫の矛盾を解決する」とは、どういうことなのか?
 恋愛、結婚、生殖をめぐる問題は、古来から人間を苦しめ続けてきたが、それがゆえに、多くの文化や芸術が生まれてきたともいえる。
 「人間であることの苦しみからいかに解放されるか」にまで行き着くと言っていい。
 矛盾といかに付き合うか、あるいは矛盾を矛盾として味わう態度を身につける方が、建設的です。
 恋愛、結婚、生殖をめぐっては、いくつもの評価軸や価値規範がある。そうである以上「不倫は悪」と過剰に叩いたり「夫婦はこうあるべき」と断定的に決める必要はない。そうしたところで、幸せをもたらすとは限らない。

 矛盾する両極を内包しながらも、知恵を働かせて生きていくのが人間ではないでしょうか。